フットボールとは「球戯」である。「球」と「戯」れると書く。「球技」は誤りだと私は考える。蒸し返すようで恐縮だが、加茂前監督の最大の失敗――それは相手の長所を消すことに腐心するあまり、自らが楽しむことを忘れたことにあったのではないか。守りに重きを置いた愛着のない3バックシステム(日本の場合、両アウトサイドを含めて5バックのような陣形になっていた)の採用は、選手に戸惑いを与えこそすれ、歓迎されるものではなかった。
 翻って韓国のイレブンは、ただ無目的にボールを前へ蹴っているだけで、攻めに明確な意図を感じることはなかった。もっとも、第一志望校に合格した受験生に、引き続きねじりハチマキで勉強しろ、と言ってもそれは無理な話。「わざと負けたのか?」という韓国人記者の質問に車範根監督は平静を装ったまま「正常に戦った」と答えた。しかし記者会見には終始、弛緩した空気が流れていた。
 敵地で、13年ぶりの勝利をあげた日本はUAEのつまずきもあって、土壇場にきてやっと本来の力を発揮し始めた。
 そして一週間後の東京でのカザフスタン戦では久々のゴールラッシュを演じた。5対1。人気者・中山の2年5カ月ぶりの“ゴンゴール”もあって、国立競技場は沸きに沸いた。
 このゲーム、5ゴールのうち実に3ゴールまでがセットプレーによって生み出された。その内訳は名波がフリーキックとコーナーキックを1本ずつ、中田がフリーキックを1本。セットプレーの有用性は日本人の勤勉で几帳面な性格を反映したものだった。
 ソウルの韓国戦でフットボールの原点を再確認した我が代表は、東京でのカザフスタン戦で“日本人らしさ”の提案に成功した。これにより上昇気流に乗って最高のかたちでマレーシアに乗り込むことができた。
 ファイナルコールがアナウンスされる中でのフランス行きの慌ただしい搭乗手続き――。それは同時にフットボールとは何か、日本らしさとは何かを自らに問い続ける精神的にも肉体的にも辛い、ひどく哲学的な作業ではなかっただろうか。
 その「解」をおぼろげながら掴んだ瞬間、ワールドカップの創始者ジュール・リメの祖国フランスから正式なインビテーションカードが届けられた。振り返れば約半世紀――。夢が成就するまでに、我々は気の遠くなるような歳月を刻まなければならなかった。

 悲願のワールドカップ出場が決まったというのに、私の心中は穏やかではない。正直に言えば、心底、苛立っている。
「1次予選突破は確実」
「8強進出も夢ではない」
 メディアの脳天気な報道を見るにつけ「まだわからないのか!」と叫びたい気持ちになる。そこには、なぜ最終予選でかくも苦戦したかという反省の検証の跡も微塵も見られない。喉元過ぎれば熱さ忘れる――。
 なぜ、かくも苦戦したのか。それは前監督の采配ミスによるものでも、誤ったシステムの採用によるものでもない。事の本質はもっと別のところにある。私見を述べれば、それは「ワールドカップとは何か?」という最も大切な問い掛けを放棄してしまったことにある。それがサッカーの神に忌み嫌われ続けた理由だったと考える。
 最終予選での日本の姿は受験生か会社訪問の学生そのものだった。ただ行きたい、行きたい、行きたい。入りたい、入りたい、入りたい。学校に入って、何を勉強したいのか、会社に入って、何をやりたいのか、あるいは何ができるのか。そうした問い掛けもなければ、きちんとしたアンサーもなかった。
「おたくの会社に入りたい。とにかく入りたい。それが夢なんです」と熱弁をふるう学生よりも「僕にはこういう能力があるんです。入れていただければこういうことができるんです」と冷静に語る学生に魅力を感じるのは私だけだろうか。自分勝手な求愛は、しばしば好意を持つ相手に遠ざけられるという「真理」に、あげてサッカー関係者は気付くべきだったのである。
 ワールドカップは4年に1度の、世界で最高のコレクションだと私は考える。世界最新の戦術とテクニックを洋の東西、南北の強国、俊英たちが披露し合うのだ。一次予選突破がどうの、八強進出がどうの、つまりフランスで勝てるかとか負けるかとかいう程度の低いやり取りをする前に、我々はニューカマーの礼儀としてふろしき包みの中にどんなプレゼントをしのばせるかをきちんと論じ合わなければならないのだ。日本人らしいエスニックなプレゼントとは何なのか。それが本当の意味でのワールドカップに出場する「資格」ではないかと考える。

 より具体的に言おう。たとえば1966年、イングランド大会での北朝鮮はどうだったか。
 驚異的なスピードと無尽蔵のスタミナで優勝候補のイタリアを撃破し“東洋の神秘”と怖れられた。ツボにはまった時の切れ味鋭いカウンターアタックは続くポルトガル戦でも威力を発揮し、敗れはしたものの、“ファーイーストのアウトサイダー”の評価を完全に覆した。
 90年のイタリア大会ではカメルーンが“助演男優賞”にあたる活躍をした。連覇を狙うアルゼンチンを“いやはや超人”といった趣きの身体能力とスキルで一蹴したのである。
 とりわけオマン・ビイクの空中を遊泳するようなヘディングシュートには度肝を抜かれた。それはヨーロッパにも南米にもないアフリカならではのエスニックな“身体遺産”だった。さらに言えば、そのシュートはアフリカの夜明けを告げる号砲でもあった。
 前回のアメリカ大会では王国ブラジルが24年ぶりに頂点を極めた。特筆すべきは両アウトサイドの攻撃力。ライトバックのジョルジーニョはどの試合でもアクセルを目いっぱい吹かせて右サイドを駆け上がり、その余勢を駆って何度も相手ペナルティエリアを蹂躙した。ドリブル突破良し、センタリング良し。守備も堅実で相手アタッカーにボールは持たせても、決定的な局面はすべて未然に防いでいた。
 対アメリカ戦で退場処分を受け、準決勝、決勝には出られなかったものの、レフトバックのレオナルドはサイドバックの仕事に革命をもたらした。タッチラインを駆け上がるだけでなく、ペナルティエリア付近にまで斬り込んでゲームメークまで難なくこなしてみせた。
 サイドバックが対面の相手サイドバックと牽制し合うのはモダンサッカーの常識だが、状況に応じてゲームメークまで担当できる能力がなければ、もはやワールドクラスとは呼ばれない。レオナルドの出現は、サイドバックが「香車」から「飛車」の時代に入ったことを示すものだった。
 しかし、機能美はどこまでも機能美であり、芸術には達し得なかった。監督のカルロス・アルベルト・パレイラは王国の再建をもたらしたにもかかわらず、
「攻撃よりも守備を重視した布陣は芸術の香りのするブラジルサッカーの魅力を損なわしめるもの」
 として批判の矢面に立たされ、ついに英雄として迎えられることはなかった。

 ニューカマーの日本をブラジルと同じように論じるわけにはいかない。しかし、せっかくパリからのインビテーションカードが届いた以上、訪問客として、先述したようにふろしきの中に何を包むかについては、きちんと議論を深めるべきだろう。
 アジアの中でも3番目のシートしか得られなかった日本が欧米の列強に一泡ふかせるにはどうすればいいか。この国のフットボーラーは欧米の一線級と比べた場合、身体能力がすぐれているわけでもなければ、テクニックに秀でているわけでもない。
 それを補うにはさらに組織力を充実させるしかない。そのためにはあらゆる局面で数的優位の状況をつくり出さなければならない。前線から最終ラインまでをコンパクトに保ち、この国の基本戦術であるプレッシングに磨きをかけなければならない。絶対的なストライカーが不在である以上、セットプレーのバリエーション、精度をより高めていかなければならない。すなわち、日本のサッカーとは何か。いや、もう一歩踏み込んで日本人にしかできないサッカーとは何か――という命題に、少々大げさに言えば国民全体で取り組まなければならないのである。
 その結果、無惨にも全敗したとしても仕方ないと私は考える。アトランタ五輪でブラジルを倒した時のような、魂胆を秘めた守備陣形なら大歓迎だが、臆病風に吹かれたゲームプランは国民に支持されないだろう。いや、その前に世界中の視線が厳しい審判を下すことになるだろう。日本人はなぜ、ここにいるのか。なぜ、この地にやってきたのか――。その内容いかんによっては、日本は“招かれざる客”になってしまう。すなわち、再びニューカマーの資格が問われることになるのである。
 神様・ジーコは語っている。
<サッカーというスポーツは、世界につながっている。ボールひとつあれば、国境を、人種を、民族を、貧富の差を超えることができる。日本はいま、やっとその戸口に立ったばかりだ>
<南米やヨーロッパでは、サッカーはすでに100年以上の歴史がある。各国のスタイルは、それだけの時間をかけて熟成されてきたものだ。日本は、これからその道を歩むのであって、今回のワールドカップが、最初の一歩になることを願っている>(いずれも『ワールドカップの真実』学研)
 お祭り気分に水を差すわけではないが、事実を述べれば、日本はアジア地区第三出場権を獲得したに過ぎない。どうにか求愛がかなってコレクションへの参加を認められはしたが、今世紀最後のステージで、いったいどんなモードを提案するつもりなのか。その結果、「世界」の審判眼はどのようなジャッジメントを下すのか。残された時間は、わずかあと半年――。

<この原稿は1998年1月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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