衆議院選挙の戦いも残すところ、あとわずか。僕も愛媛を中心に岩手、群馬、京都、福井、岡山など各地で候補者の応援をさせていただきました。まさに夏場の熱い戦いだった今回の総選挙ですが、8月も後半を迎えると、朝晩は涼しさを感じます。山あいから海沿いまであちこちをまわりながら、季節の変化を実感する選挙戦でもありました。
 もちろん変化を感じたのは、気温だけではありません。もっとも強く意識させられたのは国民のみなさんが政治に変化を求めていること。2年前に初当選させていただいた参院選以上に、その熱は高まっているようです。どこに行っても、どんな話をしても、みなさんが真剣に耳を傾けてくれる。これは本当にありがたいことです。その期待に応える活動を精一杯しなければと、改めて身の引き締まる思いがしました。

 さて、ここで知られているようで、あまり知られていない候補者の1日をご紹介しましょう。公職選挙法では、マイクを使って演説や街宣活動ができるのが午前8時から午後8時までと定められています。しかし、候補者が実際に行動を開始するのは朝7時ごろ。まずは駅前などに立って、通勤途中のみなさんにご挨拶するところから1日がスタートします。8時を過ぎると、選挙カーに乗り、分刻みのスケジュールで、選挙区内を駆け回って多い時には10回以上演説をしていきます。おそらく12時間中7時間以上はしゃべっている計算になるのではないでしょうか。喉がつぶれないよう、うがい薬を携帯したり、飴をなめたり、対策はしていますが、どうしても選挙戦の終盤になると声が枯れてしまいますね。

 夕方から夜にかけては集会や演説会に出席し、ここでも自分の政策を訴えます。8時を過ぎるとマイクは使えませんが、商店街などを歩きながら、ひとりひとりにお声がけすることもあります。僕の場合、選挙戦最終日は夜中の12時ピッタリまで活動を続けました。このように選挙期間中は、夜討ち朝駆けの生活。ある意味、体力勝負です。候補者が倒れるわけにはいきませんから、こまめな水分補給と栄養補給は欠かせません。とはいえ食事をとる時間もままならないので、僕の場合はちょっとした時間を見つけてはおにぎりを食べていました。サッカー選手として体力には自信があったにもかかわらず、体重は選挙期間中に約3キロ減。みなさんの温かい応援のおかげで、なんとか最後まで頑張れたというのが正直な感想でした。

 右も左もわからない選挙戦ではありましたが、ひとつ疑問に感じたことがありました。それは「選挙にお金がかかりすぎるのでは?」というもの。選挙カーにポスターやチラシの代金、スタッフの人件費……。決してムダ遣いをしているつもりはなくても、日本の選挙運動は次から次へとお金がかかる仕組みになっています。さらには立候補にあたって300万円(小選挙区)の供託金も必要です。これではお金持ちや組織をバックに持つ人間でない限り、立候補するのは不可能と言えるでしょう。

 幸い僕は多くのご支援をいただいて出馬できましたが、無所属だったため、いろいろと運動に制限がありました。たとえば選挙カーひとつとっても、無所属の候補者は1台しか走らせることができません。一方、政党の候補者は、候補者用と、政党用で計2台が使えます。そもそも選挙カーを使った街宣活動がベストかどうかは議論のあるところですが、不公平感は否めません。

 公職選挙法が制定されたのは昭和25年。その後、細かい改正がされているものの、基本的には60年前の条文が多く残っています。インターネットなど時代の変化に全く対応できていません。ネットを通じて候補者がしっかり政策をアピールできるようになれば、ただ名前を連呼するだけの選挙活動も変わってくるのではないでしょうか。

 選挙にかかる費用には多額の国民の税金があてられています。投票用紙の印刷や投票所・開票所の設営、掲示板の作成、投票日の告知はもちろん、先にあげた候補者の選挙カーやポスター代も選挙後に届け出すれば、代金が戻ってきます。今回の総選挙には約683億円もの税金が使われる見込みです。

 これは有権者1人あたりで割ると約656円。みなさんひとりひとりが、普通のランチ1回分を払って選挙を実施している計算になります。せっかくの貴重なお金をムダにしないためにも、まず投票に行きましょう。投票によって政治は変わります。政治が変われば、国の仕組みも変わります。選挙もよりお金のかからない、時代に即したものに変わっていくでしょう。いや、変えなくてはいけない。選挙によって役割を与えていただいた人間として、そう感じています。

 風を起こし、日本丸を前に進めるのはみなさんの一票一票です。来る8月30日が、新・日本丸の船出の日になることを心から願っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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