イチローの驚異的ともいえる動体視力について言及する研究者が増えているが、その内実についてはあまり知られていない。実は動体視力の中でも、彼がもっとも優れているのは瞬間視能力である。
 これはコンピュータの画面に8ケタの数字を0.1秒だけ点滅させ、読みとらせることで測定する。文字のサイズはタテ1.2センチ、横1センチ。平均正解率は約5割だが、イチローは8割を超える。
 しかし、このくらいで驚いてはいけない。仮に8ケタの数字を<40758023>とする。横書きの場合、普通の人間は左から読む。ところが彼は右から読むのだ。私が知る限りにおいて、こんな選手はイチローだけだ。

 この“逆読み”にサウスポーキラーの理由があると私は見る。左打者は例外なく左投手を苦手とする。苦手にまではしない打者でも、右投手よりも高打率を残すのは至難の業だ。
 継続的に左を得意にしている唯一の例外がイチローである。日本記録の210安打をマークした1994年、彼は3割8分5厘の高打率を残したが、その内訳は右投手に対して3割8分1厘、左投手には、それを上回る3割9分3厘。メジャー通算でも右投手に対しては3割2分7厘だが、左投手に対しては3割4分6厘。
 左投手を全く苦にしないのは、数字を右から読む習性、つまり左投手のボールの正体を内側から視認し、縫い目などの情報をもとに解読しているからではないか。まさに「神の眼」を持つ男、それがイチローだ。

 今季は持ち前の「ゴッド・アイ」にさらに磨きがかかった。ボール球をヒットにする確率が格段にアップしているのだ。失礼ながら常勝チームではないマリナーズの場合、いわゆる消化試合が多くなる。メジャーリーグの主審は消化試合や大差がついたゲームを早く終わらせようとする傾向がある。いきおいストライクゾーンはワイドになる。年間200本のヒットを維持するためには悪球をもヒットにする技術と意志がいる。

 普通の打者はただ見送るだけの悪球の軌道や球質までをも視認し、瞬時にレシピを作成し、打たされずに、打つ――。もしかするとイチローは手の届くボールは全部ヒットにしようと考えているのではないか。「神の眼」から「神の手」へ。イチローはこの先、どこへ向かうのか…。

<この原稿は09年9月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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