「人の噂も75日」という諺があるが、相撲界での話題は75日どころか3日ももたないようだ。きちんと総括しなければならない問題なのに、またしてもうやむやに終わってしまった。
 秋場所の優勝決定戦で横綱・白鵬をすくい投げでブン投げた後の横綱・朝青龍のガッツポーズだ。土俵上でのガッツポーズが問題になったのは5場所ぶりの復活優勝を果たした初場所に続き、これが2度目。本人も、さすがにこれはまずいと思ったのか、後で「謝らないといけないことがあります。ガッツポーズをしてしまいました。嬉しくてやってしまった。いけないことをやってしまいました」と反省の弁を口にした。語るに落ちるとはこのことで「いけない」とわかっていてやったのだったら、それは確信犯である。
 どうにも腰が定まらないのは横綱審議委員会の対応である。鶴田卓彦委員長によれば「あれぐらいでいいという人、絶対にダメという人、意見は半々だった」とか。恐れながら申し上げれば、横審の一部の先生方は相撲の原理がわかっていないのではないか。

 基本的に私はガッツポーズには反対の立場である。それは「相手への礼を失しているから」といったような単純な理由からではない。武道の精髄とでもいうべき「残心」を日之下開山と称される横綱が未だに理解していないことに深い失望を覚えるのだ。
 たとえば剣道において一本を取った直後にガッツポーズをつくれば、間違いなく取り消されるだろう。礼節の精神の欠如に加え、相手の反撃に備える心構えができていないと見なされるからだ。後ろ向きのガッツポーズなんて「どうぞ後ろから襲ってきてください」と言っているようなものだ。これは武道家のとるべき態度ではない。

 相撲の始祖として祀られる野見宿祢(のみのすくね)は當麻蹶速(たいまのけはや)との戦いにおいて蹴り技で腰を砕き、殺したとされる。息の根を止めるまでは敵を凝視して、瞬きすらしなかったはずだ。
 誰かそのことを朝青龍に教えてやって欲しい。世界最大の帝国の礎を築いたチンギス・カンと同じDNAを持つ武人(いくさびと)に、そのことが理解できないはずはあるまい。無防備なガッツポーズは私に言わせれば横綱の「品格」ではなく「資質」に関する問題である。

<この原稿は09年10月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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