9月13日(日)、今季最後の四国ダービー(J2第39節)愛媛FC対徳島ヴォルティスの一戦が、ホーム(ニンジニアスタジアム)にて行われた。
 この試合へ向けて1万人以上の集客を目指し、動員計画が実施されたのだが、愛媛FC事務局スタッフ、サポーター、支援者たちの努力が実り、見事「12851人」という、当初の目標を大きく上回る大観衆をスタジアムへ集めることに成功したのだ(スタジアムへのご来場、また集客へご協力頂いた多くの方々に、この場をお借りして御礼申し上げます)。
(写真:大勢の観客に埋め尽くされた四国ダービーのスタンド)
 試合は残念ながら、スコア0−1という愛媛FCの惜敗に終わった。だが、スタンドを埋め尽くす大勢のサポーターたちと一緒に、一体感のある応援を展開し、選手たちを終始、力強く後押しし続け、ホームとしてのスタジアムの雰囲気を演出できた。このことはサポーターにとっても、本当に良い経験となったし、今後の活動への自信にも繋がったように思える。
(写真:四国ダービー告知会見にて、意気込みを語った両チーム)

 四国ダービー翌日の9月14日(月)、クラブからの突然の会見発表に、驚きと動揺を隠せない自分がいた。愛媛FC事務局が、望月一仁監督の成績不振による解任とイヴィッツァ・バルバリッチ新監督の就任を発表したのである。

 愛媛FCの監督を5年間務め、Jリーグ昇格という大偉業に携わり、それを成し遂げた望月監督。紳士的な人柄で人望もあつく、サポーターからの人気もあった。個人的には、尊敬の気持ちを抱くとともに、幾多の戦局を一緒に乗り越えてきた、戦友のようにも感じていたので、今回の解任という結果は本当に残念に思えてならない。
 また、2009シーズン当初の意気込みからも、今季が望月サッカーの集大成の年であると思っていたので、志半ばでチームを去ることになってしまった望月監督の心情を考えると、とても辛い気持ちになってしまう。
 
 2005年、サッカー大国と呼ばれる静岡から、サッカー不毛の地とも称される愛媛へとやって来た望月監督。芝生の整備された練習場はあまり存在せず、土のグラウンドでの練習がほとんど。トレーニング施設も簡素という愛媛のサッカー事情や環境の悪さに驚かれたことだろう。そんな環境下にあり、愚痴もこぼさず、献身的にチームをつくり、ひとつにまとめ続けた功績は、愛媛FCにとって何物にも代えがたい財産ではないだろうか。

「望月一仁監督が自身の生活を犠牲にし、愛媛FCのため、愛媛のために尽くしてこられた5年間は、私達にとって本当に素晴らしい5年間でした。言い尽くせない程の、たくさんの感動を皆に与えて下さって本当にありがとうございました。これからのご活躍にも、期待しております」
 
 望月監督が心血を注いでつくりあげた、このチームの灯火を絶やさないためにも、これからも気持ちを込めて応援、また支援していきたいと思う。それが愛媛FCの存続に繋がり、つまりは「望月一仁」という名前を後世へ向けて伝えることになるからだ。

 9月15日(火)、新監督のイヴィッツァ・バルバリッチ氏がチームに合流し、新生・愛媛FCがスタートした。同氏はクロアチア人で、現役時代にはイビチャ・オシム監督(前日本代表監督)率いる旧ユーゴスラビアの代表にも選出され、活躍しており、今年の春までボスニア・ヘルツェゴビナのNKシロキ・ブリイェグで監督を務めていた。今回が、初めてのJリーグクラブでの指揮となる。

「闘争心が強く、公式戦での結果に拘る監督」と言われている新監督だが、彼の采配がチームに対し、どのような変化をもたらしてくれるのか、興味深いところである。もちろん、選手たちや周囲の人々に心の変化が訪れることは安易に予想できる。就任後、全てが好転に転じ、直ちに結果が出るとは考えがたい。そこは、長い目で捉えていきたいと思う。

 チーム初の外国人監督の就任により、大きな変化の時を迎えた愛媛FC。今回の決断が、ビッグクラブへの進化の過程として、未来へと繋がりうるものになるのであろうか……。大いに期待したいところである。

 
松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール
 1967年5月14日生まれ、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。
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