「影武者」と聞いて、まず頭に浮かんだのが戦国武将の武田信玄だ。黒澤明の映画の印象が強すぎるせいかもしれない。「影武者」は徳川家康にもいた。外国に目を転じるとナポレオン、ヒトラー、スターリン…。権力者、とりわけ独裁者が「影武者」を起用したのは暗殺を恐れたからだ。自らの死後、権力が不安定化するのを未然に防ごうとした場合もある。
 北朝鮮の「将軍様」金正日総書記に「影武者」がいることは、これまで多くのメディアが伝えてきた。人一倍、猜疑心が強いといわれる御仁に「影武者」がいても何の不思議もない。しかし、その根拠となると今ひとつ弱いものがあった。
 本書は北朝鮮ウォッチの第一人者の手によるものだけあって説得力がある。金正日総書記が1982年頃、頻繁に東京・赤坂のレストラン・シアターを訪れ、そこでプリンセス天功を見初めたという話はショッキングだ。ちなみに「喜び組」のあのセクシーなダンスは、この店のパクリなのだという。
 著者は「死亡説」についても、その舞台裏を明らかにする。声紋鑑定の結果はあまりにも衝撃的だ。北朝鮮はどこへ向かうのか。 「金正日の正体」(重村 智計 著・講談社現代新書・720円)

2冊目は「デットマール・クラマー」(中条 一雄著・ベースボールマガジン社・1800円)。 「技術にこだわってスピードを失ってはならない」。40年以上前、日本サッカーの基礎を築いたクラマーは語った。全サッカーファンが読むべきテキスト。

3冊目は「吉田沙保里、119連勝の方程式」(布施鋼治 著・新潮社・1400円)。今年1月、連勝記録が119でストップした。敗戦を報じる新聞を吉田は自室に飾って雪辱を期したという。北京五輪で連覇を達成したレスリング女王の強さの秘密に迫る。

<1〜3冊目は2008年9月10日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>


4冊目は「愛蔵版 第66期将棋名人戦七番勝負」(毎日新聞社 編・毎日新聞社・2000円) 。 
 第66期将棋名人戦七番勝負は羽生善治挑戦者が4勝2敗で森内俊之名人を破り、名人位に返り咲いた。今回の名人戦は朝日新聞社と毎日新聞社の初共催という点でも注目を集めた。本書には6局の棋譜が全ておさめられている。
 今回の名人戦の模様はNHKでも「最強の二人、宿命の対決」と題してダイジェスト放送された。最終局となった第6局、最後の3手を指す時、羽生の右手が震えていた。あれは衝撃的なシーンだった。本人によれば「勝ちがかなりはっきりして、終わりまで手順が見えているとき」に生じる現象なのだという。相手にすれば、これほど嫌なことはあるまい。「将棋は終わりが難しいんですよ。それはゴルフのパットと似てると思うんですけど、あと1〜2メートルの簡単そうなのがなかなか入らない」。そうも語っていた。
 本書は将棋に興味のない人でも楽しめる。その秘密は写真にある。扇子をにぎりしめ、顔をしかめる羽生、将棋盤越しに羽生の表情を窺う森内。全知全能を賭けた総力戦の様相がひしひしと伝わってくる。まさしく「愛蔵版」と呼ぶにふさわしい一冊。

5冊目は「江戸歌舞伎の怪談と化け物」(横山 泰子 著・講談社・1500円)。 「18世紀後半、日本に「妖怪革命」が起きたそうだ。以来、妖怪は娯楽の対象になり、歌舞伎に怪談物が登場した。時には意地悪ばあさんまで出てくる著者の語り口が楽しい。

6冊目は「おまえが若者を語るな!」(後藤 和智著・角川Oneテーマ21・705円)。現代の若者分析の多くは、彼らの特異性を論じ、批判する。しかし、それは本当か。流布される「若者論」の誤謬と、特定の世代を十把一絡げにする不毛さを指摘する。

<4〜6冊目は2008年10月1日付『日本経済新聞』夕刊に掲載されたものです>
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