とはいえ肉眼で見る限り、運命のボールは失投ではなかった。見逃せばインコース高目のボール球。3球勝負も川口の「焦り」と見るのは間違いだろう。バッター・イン・ザ・ホールのカウントでズバッと勝負球を投げ込むのは、川口のピッチングの真骨頂、むしろ、それこそが川口の持ち味だった。 にもかかわらず、なぜ川口は痛打されてしまったのか。打った鈴木が巧かったといえばそれまでだが、理由はそれだけではないはずだ。いくつかの必然が重なり合って、偶然と見まがうドラマを生むことはあっても、その逆はありえない。やはり川口は打たれるべくして打たれたのだ。あの運命の1球は、川口がそれまでに投じた何万球の中の1球としてとらえるべきであり、さらにいえば、それは彼がその後、投げ続ける何千球かのボールとも密接に関係してくるものであると考えることもできる。
 川口はこの日本シリーズで合計242球のボールを投げたが、鈴木に打たれるわずか3球前に、実は、「生涯最高」と自画自賛するボールを投げている。具体的にいえば、シリーズ第5戦、8回裏、2死満塁のピンチで秋山に投じたウィニング・ショットがそれである。
 第5戦、先発のマウンドに立った川口は初回から飛ばしに飛ばし、秋山を迎えるまで、ライオンズ打線を散発の5安打に封じ込んでいた。三振も6つ奪い、全くといっていいほどつけ入るスキを与えなかった。それだけに突如として招いた2死満塁のピンチは、バッターがこのシリーズすでに2本のホームランを放っている秋山であるということも含め、絶体絶命の趣きに染められていた。
 カープのリードは3点。ホームランが飛び出せば逆転、ヒットでも次打者が4番・清原であるという事情を考えれば、勝敗の行方は一気にライオンズに傾く。キャッチャー達川の3本の指が、ミットの下でかわるがわる地面を指さした。
 川口は何度も両手でボールをこね、ロージンを手にして左手に息を吹きかけたあと、セカンドランナーをチェックしてから4球目を投じた。
 ボールは外角低目に向かってまっすぐに突き進み、少し沈んでキャッチャーミットにおさまった。ふだんよりワンテンポ遅れて主審の右手がスッと上がった。その瞬間、達川は飛び上がってガッツポーズをつくり、マウンドに駆け寄った。さながらゲームセットの瞬間のような光景であった。
 絵に描いたような見逃し三振。「同じ三振でも空振りより見逃しの方が気持ちいい。なぜなら、見逃しはバッターに攻撃すら許さなかった、つまりねじ伏せたという充実感がある」と言ってはばからない川口にとって、これこそは会心のシーンだったに違いない。

 振り返って川口は語る。
「あのボールは投げた自分が一番びっくりしたんです。バッターからすればボールに見えて、外から中へクッと入ってきて、少し沈んだ。もうこれ以上ないというコース。ボールともいえるし、ストライクともいえる。おそらく秋山はストレートのボールに見えたんじゃないかな」
 参考までに秋山の意見も紹介しておこう。
「あれは完全に低くはずれたボール。自信をもって見逃した。それは達川さん自信がわかっているはず。実は次の年のオープン戦で、達川さんに聞いたんです。“あれはボールでしょう?”と。達川さんは“何言うちょる。入っとるわい”と答えたけど、僕は今でも確信をもってボールだと思っている。真っすぐの回転ならともかく、シュート回転の分だけ低くはずれていたんじゃないかな。もっともピッチャーにすれば、コースといい高さといい狙いどおりのボールだったろうけどね」
 両者の話を聞いていて、あらためて思う。ベースボールとは何と不思議なスポーツなのだろうか、と。ピッチャーズ・プレートからホームベースまでの距離は、18.44メートル。ホームベースの幅43.2センチ。塁間27.43メートル。このような厳格な数字によってフィールドは支配されているにもかかわらず、ストライクとボール、アウトとセーフの判定は肉眼というほとほと心もとない目分量に委ねられている。
 そうである以上、あれはストライクだった、いやボールに違いない、セーフに決まっている、アウトとしか思えない――と自らの考えを主張したところで、残念ながら何の意味も持ちえない。むしろ大切なのは、審判を味方につけることであり、その伝で言えば、川口のウィニング・ショットは主審の右手を誘い出すだけの“魅力”を確実に秘めていたということだ。
 ミットに吸い込まれた直径わずか7.2センチの白球本体の“魅力”もさることながら、指を離れるまでの思索や考察の崇高さ、健気さにベースボールの主審=主神は心を動かされたと考えるべきではないだろうか。
 秋山との対決で川口はこう考えた。
「ああいう場面ではバッターは球種をしぼってくる。あの時点で考えたのは、真っすぐで行こうか、フォークを落とそうか。この2つにひとつだったわけです。で、このカウントなら、真っすぐ系を待つだろうな、と。よし、だったらあのボールで勝負してみようと。僕としては勝算のある“苦肉の策”だったわけです」

 川口が投じたボールは、実はストレートではなく「スラフォー」と呼ばれる変化球だった。親指と薬指でボールを強くグリップし、中指を縫い目にかける。スライダーに近い握りながら、深めに握ることによって、すっぽ抜けを阻止する。腕の振り、リリース・ポイントはストレートと一緒。バッターにはストレートに見えるが、ホームベース付近で心持ち沈む。ストレートを待っていたバッターがそのつもりで打ちにいくと、空振りするかボールの上を叩いてしまう。それがこのボールの最大のアドバンテージだった。
 真っすぐと同じ腕の振りで、落ちるボールを投げるにはどうすればいいか。川口は数年前からこの変化球の開発にとりかかり、やっとマスターしたのが、この「スラフォー」と呼ばれるボールだった。スライダーの“スラ”が冠せられていても、深目に握るため、ボールはシュート回転、すなわち外角に逃げていく。川口の言葉を借りれば「カウントもとれるし、勝負球にもなる」使い勝手のいい“コンビニエンス魔球”だった。
 ただ、慣れない指の使い方をするため、このボールを投げると普通の変化球の3倍は疲れた。だから、川口と達川のバッテリーはここぞという場面でしか使わなかった。成功率はかなり高かったが、失敗例もないではなかった――。川口はそのように言う。

 その話を鈴木康友に向けると、ハハーンと言ってうなずき、「だから、あそこでは投げなかったのか……」とひとりごちた。
 実はシリーズの2戦目、川口からヒットを打ったときのボールがホームベース付近で不思議な落ち方をしたというのである。鈴木はそれを、「バットの先っぽで拾って」レフト前に運んだ。
「それがあったから達川さんはあそこで“スラフォー”を要求しなかったのかもしれない」
 そう鈴木は推測する。
「あそこ」とは、言うまでもなく、第6戦、6回裏2死満塁の場面である。

<この原稿は1996年5月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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