いくつか疑問が残る。ワンポイントではあったにしろ、なぜあの場面で疲れの残っていた川口をリリーフに起用したのか。ライオンズの森監督は「これで最終戦に川口は使えない」と判断し、「広島が勝ちに来てくれたので助かった」と本音を漏らしている。
 果たして川口を使うべきだったか、最終戦に温存しておくべきだったか。どっちが正しい選択だったかは誰にもわからない。勢いに乗るカープとしては自軍に傾いた流れを止めたくなかっただろうし、当初から「7戦勝負」を打ち出していたライオンズとしては、カープの切り札である川口を最終戦前に引きずり出し、叩いておきたかったに違いない。先にも述べたが、川口の投入はまさに賭けであり、リトマス試験紙に落とした1滴の雫だったのだ。
「僕は川口のリリーフに賛成ではありませんでした」
 当時、カープのピッチングコーチをしていた池谷公二郎はきっぱりと言った。
「よし、川口で行くぞ!」
 2死満塁の場面、川口の投入を決断した山本監督に向かい、池谷は、
「本当に川口ですか?」
と聞き返している。試合が始まる前にはわざわざ山本監督に向かって、
「川口のリリーフは考え直したほうがいいですよ」
 と、自らの見解を具申している。
 なぜ、川口のリリーフに難色を示したかといえば、公式戦で成功したという記憶がなかったからである。

「川口はあくまでも先発完投型のピッチャー。本人も“自分はリリーフに向かない”と思い込んでいるフシがあった、だからリリーフ投手にもっとも大切な気持ちの整理ができない。監督は川口の勢いや運に賭けたかったんでしょうが、あのときはベンチ全体が浮わついているような感じでした」
 続いて山本浩二の述懐――。
「川口のリリーフは最初から予想通り。この試合までは達川がうまい具合にリードし、西武打線は面白いように高目のつり球に引っかかっていた。だけど、試合が終わった日の晩にワシは後悔したよ。“あそこは大野(豊)だったなァ”と。実際、ブルペンで大野はピッチングしていたし、投げられる状態やった。泣いても笑っても、あとひとつ勝ちゃよかったんやから」
 悔いを残しているのは首脳陣ばかりではない。キャッチャーの達川は、
「打たれたという結果が出ている以上は、球種の間違いじゃろうね」
 と、こともなげに言い、こう続けた。
「川口というピッチャーに遊び球はない。全部が勝負球よ。あそこで要求したのは確かにボール球やけど、遊び球とは違うんよ。真ん中高目のボール球で勝負に行ったの。ただ要求したところより若干低かった。それに3球目より2球目のほうがいいボールじゃったね。川口の特徴は1球目よりも2球目、2球目よりも3球目、3球目より勝負球と、だんだんよくなるところにあるの。ところが、やっぱり疲れがあったんじゃろうね。あの勝負球は全然きてなかったよ。
 あとで冷静に考えれば、焦って勝負することもなかった。あのボール(スラフォー)を投げさせときゃよかったかもわからんね。ワシも乗りすぎたということじゃろう」

 もちろん、川口にも悔いは残っている。早くからブルペンで肩をつくっていた彼は、5回頃から行く覚悟を決めていた。ところがリリーフに指名されたのは金石だった。この時点で川口は「今日はないのかな」とひとり合点し、ブルペンでのピッチングを一時中断した。そこへ再び「カワ、つくってくれ!」の指示。慌てて肩をつくり始めている。リリーフ投手にとってもっとも大切な条件である、試合の流れに乗ることができなかったのだ。
「先発は自分で流れをつくればいい。だけどリリーフピッチャーは、人がつくった流れの中に、スッと入って行かねばならない。これがすごく難しいんです。残念ながら自分にはその経験がなかった。それをいやというほど痛感しました」

 筆者なりの感想を述べよう。なぜ秋山へのボールは打たれず、鈴木へのボールは打たれたのか。秋山への一球はきわどいコースだったにもかかわらず主審の心を射止め、ピンチを見事に防ぎ切った。翻って鈴木への一球は、見逃せばボールだったにもかかわらずインフィールドにはじき返され、結果としてシリーズの流れを奪われた。
 敗者には共通のキーワードが存在する。秋山は見逃した一球を「あれはボールだった」と言い、川口は鈴木に投じた一球を「悪い球ではなかった」と振り返った。実際、その通りだろう。しかしベースボールとは相手のピッチャーやバッター、あるいは審判という対象がいてはじめて成立する相対的なスポーツである。2人はそれを失念し、主観の檻に自らの言葉を閉じ込めた。
 野球には、結果以外に成功と失敗を隔てる基準がない。たとえばど真ん中のボールであっても、打たれなければ「いい球」であり、外角低目いっぱいに150キロのストレートが決まったとしても、打たれれば、「悪い球」なのである。
 川口が秋山への一球を「生涯最高のボール」と自画自賛するのは、邪心も打算も抱かず、無我の境地でバッターに相対することができたからではないだろうか。「無我」とはきっと全知全能を傾けた果てに起こる、クリアな心理の状態をいうのだろう。川口は直径7.2センチの硬球に託した生のままの魂wお18.44メートルの空間に走らせたのである。
 鈴木にも同じことがいえる。ツーナッシングと追い込まれてから、彼はハタと我に返り、煩悩から解放される。「気持ちええなァ、なんやろう、この感覚は……」と胸が高鳴り、「1分でも1秒でも長くこの場にいたい。時間よ止まっていてほしいと思った」と言うのである。
 第5戦で痛恨の見逃し三振に倒れた秋山は、第6戦で勝負を決定づけるスリーランホームランを放ち、最後の第7戦でも再びダメ押しのツーランを奪って、シリーズのMVPに輝いた。彼は第5戦の“スラフォー”を「ストライクなら打てたボール」となかば強引に割り切り、ショックを1度そこできれいに清算し、気持ちを切り替えて、以降の試合に臨んだのである。
 ところで川口は、最終の第7戦にも1点リードの場面でリリーフに立ったが、3点を献上して(自責点は1)マウンドをおりた。第5戦で歓喜の嶺に立った彼は、第6戦で屈辱の谷に突き落とされ、そこで彼のシリーズは終わっていたのかもしれない。
「7戦目については何も覚えていない」
 川口は4人の打者と対決しているはずだが、その部分は記憶のストックからすっぽりと抜け落ちている。

 この日本シリーズ、川口はひとりで勝ち、ひとりで負け、最後は狭山丘陵の夕映えのなかで美しく散った。映画で言えば“助演男優賞”ながら、少なくとも存在感においては、どの選手の後塵を拝することはなかった。それにしても「敗者の美学」と「勝者の資格」を隔てる因子の正体とはいいたい何なのか。これこそは永遠の命題に違いない。

<この原稿は1996年5月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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