科学的根拠は皆無だが「勝ち運」を持った選手は洋の東西を問わず、確実に存在する。球団史上初の2連覇を目指し、ヤンキースとWシリーズを戦っているフィリーズ監督のチャーリー・マニエルなどはその典型だろう。
 マニエルのMLBでの実績は芳しくない。ツインズとドジャースで延べ6年間プレーし、通算打率1割9分8厘、4本塁打、43打点。代打が主な仕事だった。
 しかしリーグ・チャンピオンシップ・シリーズ(LCS)には2度も出場している。69年、MLBはエクスパンションにより、ア・リーグにロイヤルズとパイロッツ(現ブルワーズ)、ナ・リーグにエクスポズ(現ナショナルズ)とパドレスの4球団が加わり、この年から東西2地区制となった。

 この恩恵に浴したのがツインズだ。LCSではオリオールズに0勝3敗と完敗したが、セミ・ファイナル出場チームに名を刻んだ。翌年もツインズは地区優勝を果たした。
 マニエルの「勝ち運」は日本でも如何なく発揮される。76年にヤクルトに入団したマニエルは3年目の78年、打率3割1分2厘、39本塁打、103打点の成績でチーム初のリーグ優勝、日本一に貢献した。

 79年、近鉄にトレードされた彼は、ここでも助っ人の役目を果たし切る。ロッテ・八木沢荘六から受けた顔面への死球で97試合の出場にとどまったものの、37本塁打でタイトルを獲得。チームを初のリーグ優勝に導いた。翌80年はホームラン、打点の2冠を獲り、リーグ連覇に貢献した。ヤクルト、近鉄の初優勝はマニエルのバット抜きには考えられない。彼こそは正真正銘の優勝請負人だった。

 米国に戻ったマニエルに一度だけ話を聞いたことがある。彼はインディアンズの打撃コーチをしていた。「バッティングにおいて最も大切なポイントは?」と問うと、彼は「ステイ・バック」と言った。要するに重心をしっかり後ろに残して、ボールを呼び込めということだ。ボール球を打たない。変化球に泳がされない。これは日本で学んだことだと付け加えた。

 95、97年とインディアンズの打撃コーチとしてWシリーズに出場。昨季はフィリーズを率いて、チームを28年ぶりの世界一に導いた。Wシリーズの舞台は再びニューヨークへ。赤鬼おじさんは、ここからがしぶとい。

<この原稿は09年11月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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