「おい坊や、アイスコーヒーな」。先輩の命令は絶対である。「はい、わかりました」。しかし球場にアイスコーヒーなど置いてあるわけがない。
 恐る恐るひとりの先輩に訊ねた。「アイスコーヒー、どこにあるんですか?」「アイスコーヒー? そんなものどこにも置いてねぇよ」けんもほろろとはこのことだ。「じゃあ、どうやってつくればいいんですか?」「そんなものオマエ、熱いコーヒーに氷を入れるしかないだろう。そのくらい自分で考えろ」。叱り飛ばされた。氷は地階の製氷機から用立てた。

 ひとりの先輩の分をつくると、ほとんど全員が「オレも」と続いた。以来、アイスコーヒーづくりは新米の日課となった。ミルクと砂糖を熱湯に溶かす。すると、また叱られた。「バカヤロー、オレはブラックだ!」

 ひと仕事終え、やっと練習。投内連携でセカンドベース目がけて低いボールを放る。ベースカバーに入ったベテラン内野手はグラブを出すかわりに片足をヒョイと上げた。赤瀬川隼の小説ではないが「球は転々、宇宙(右中)間」。息を切らせてボールを追い、定位置に戻る。待っていたのはコーチの罵声。「オマエ(グラウンドから)出ろ!」。ライン際でしょんぼり佇んでいると「邪魔だ!」。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。「いったいオレはどうすればいいのか…」。思案に暮れているうちに練習は終わった。工藤公康、プロ入り1年目の風景である。

 当時の西武は寄せ集めの野武士集団。田淵幸一、東尾修、山崎裕之、大田卓司、江夏豊(84年入団)。皆、己の腕だけを頼みに生きてきた一騎当千の兵である。
 しかし、この少年はオオカミの群れに放り出されたウブな子羊ではなかった。ある日、バッティング投手に駆り出された子羊は制球を乱し、先輩から大目玉を食う。
「3球続けてストライク外すんか! このクソがきが!」。深々と頭を下げつつも、少年は心の中ではペロリと舌を出していた。「バカヤロー、1球ストライク入っているじゃないか、ボケ。打てよ!」。昔を振り返りながら、工藤はこう語気を強める。「この世界、なんでも“ハイ、ハイ”と人の言うことを聞いているような素直な子は伸びないですね」。

 16年ぶりの古巣復帰。誰が菊池雄星にアイスコーヒーをつくらせるのか。それとも、もうそういう時代ではないのか…。

<この原稿は09年11月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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