エキシビジョンゲームでの松井のバッティングを見ていて気になったことがもうひとつあった。それは三振がきわめて少ないことだ。3月18日現在、41打席で松井はわずか2つしか三振を喫していない。空振り三振にいたっては、わずかに16日のアストロズ戦での1度だけ。これもハーフスイングを空振りにとられたもので、豪快な空振り三振というイメージには程遠かった。
 三振が少ないということは2つのことを意味している。ひとつは松井はどのコースにも、どんな球種にもついていっているということ。ファースト・ストライクから積極的に仕掛けている点は評価できる。しかし、同時にこれは逆の見方もできる。すなわち、打っているのではなく、打たされているのではないか……。早い話、腰の据わったバッティングができていないのではないか、という懸念である。
 3月15日のブルージェイズ戦でおもしろいできごとがあった。先発投手が開幕投手のロイ・ハラディからダグ・リントンに代わったのを知らずに対戦してしまったのだ。結果はいずれもセカンドゴロ。
「名前書いてないからわからないよ」
 苦笑を浮かべて松井はそう語った。
 このエピソードほど松井が置かれている状況を如実に物語っているものはない。メジャーリーグで対戦するピッチャーは松井からすれば全員“初モノ”である。相撲でいうところの“初顔合わせ”だ。どんな球筋のボールを投げるのか、どんな変化球を持っているのか、松井にはさっぱり見当がつかない。つまり、“出たとこ勝負”ということになる。
 日本時代の、2ストライクに追い込まれるのを待ってウィニングショットを狙い打つという“読み”に基づいたバッティングをアメリカで続けることはできない。そんなことをすれば、逆に命取りになる。野球では“初顔合わせ”はピッチャーが有利と相場が決まっているからだ。

 素性のわからないピッチャーと相対したとき、一発を狙うよりもコンパクトなスイングでライナーを広角に打ち分けたほうが打率は上がるに決まっている。チームにもたらすメリットも大きい。特にヤンキースのような優勝を義務付けられている球団において、チームに貢献するバッティングは高い評価を受ける。
「日本時代よりもライナー性の打球を意識している」
 との松井の発言は、多分にヤンキースのチーム事情を意識してのものだろう。3年契約25億円、超大物ルーキーの松井とはいえ、名門ヤンキースにおいては、毎年のように入ってくる“ニューカマー”のひとりに過ぎない。一発を狙いすぎて内外野にポンポンとポップフライを打ち上げていたら、あっという間にレギュラーの座を剥奪されてしまうだろう。
 それでなくてもアメリカのボールは飛ばないのだ。重いボールに加え、縫い目のヤマが高く、打球は上空で空気抵抗を受ける。さらにいえば総じてアメリカのピッチャーは指が長く、握りが深くなるため、順回転のきれいなストレートは少ない。一発を狙うにはあまりにもリスクが大きい。せっかくのフルスイングも芯をはずせば、ただのポップフライに終わってしまう。逆にボールの上っ面を叩けば、ボテボテの内野ゴロだ。
 ニューカマーが名門ヤンキースで足場を固めるためには、とにかく結果を残さなくてはならない。巨人時代に追いかけていたホームランへの夢はひとまずベンディングしてでも、まずは生き残らなければならない。夢を追求するのは、それからでも遅くない――彼はそう考えているに違いない。
 正解である。地に足がしっかりとついている。的確な自己分析だ。
 持論だが、私は松井は「天才型」と「努力型」の両性具有者だと考えている。頑強な肉体、破格のスケール、日本人離れした飛距離は天性の領域に属するものだが、それだけでは彼はここまでの選手になれなかったはずだ。
 入団間もない頃、彼は左投手の変化球がまったく打てなかった。胸元を襲う150kmに近いストレートになす術がなかった。それを持ち前の努力と工夫によって、まるでオセロゲームのコマをひとつひとつ引っ繰り返すようにして自らの陣地を拡大していった。
 プロ入り10年目の昨季、松井は三冠王こそ逸したものの、自らのキャリアハイとなる成績を残した。打率3割3分4厘、50本塁打、107打点。“大輪の花”と呼ぶにふさわしい好成績は努力と工夫によってもたらされた。
 そんな男が進化の歩みをとめるわけがない。三段跳びではないがホップ、ステップ、ジャンプ。ゴジラが本当の意味で全米を地響き立てながら闊歩するのは3年目のシーズンだろう。その意味でルーキーとして迎える03年のシーズンは、松井秀喜にとって長いドラマのイントロダクションに過ぎないのかもしれない。

<この原稿は2003年5月号『月刊現代』に掲載されたものです>
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