同じ雪国でありながら、秋田県は山田久志、落合博満などプロ野球の名選手を多数、輩出しているのに対し、隣の山形県はパッとしない。
 秋田県出身者といえば他に“酒仙投手”と呼ばれた石戸四六(故人)、1982年のパ・リーグ最多勝投手・工藤幹夫、今夏の参院選に出馬するとみられている石井浩郎もそうだ。現役ではスワローズのエース石川雅規の名があがる。
 翻って山形県で私が知る名選手といえば「最後の30勝投手」の皆川睦雄(故人)くらいだ。ちなみに人口を比較すると秋田県が約109万人であるのに対し、山形県は約118万人と約9万人多い(2月1日現在)。

 しかし最近になってやっと山形県からも名選手予備軍が現れるようになった。その筆頭がカープの栗原健太である。球界では数少ない和製大砲。繰り上げ当選のようなかたちではあったが、第2回WBCの日本代表にも選出された。
 新外国人に大きな期待を寄せられないカープにおいて、4番の栗原にかかる負担は他球団の4番以上に重い。昨季は3番の天谷宗一郎が右の掌骨折で5月に戦線を離脱したため、しばらくは栗原ひとりにマークが集中した。本人にすれば孤軍奮闘の末に立ち往生した弁慶の心境だったのではないか。本塁打数こそ一昨年と同じ23本だったが、打率、打点ともに昨季は一昨年を下回った。

 不調の原因について、本人はこう語った。「一昨年のオフ、右ヒジのネズミ(遊離軟骨)の手術をした。その後、WBCの代表候補に選ばれたことで、痛みが残ったままプレーした。それが原因で変なクセがついてしまった」。痛みを我慢して当てにいくだけのスイングになり、フォームを崩してしまったのだという。
 市民球場から広いマツダスタジアムに本拠地を移したことも昨季に限っては凶と出た。「遠くへ飛ばそうという意識が強く働きすぎた。以前ならフェンス直撃やスタンドに入っていた当たりも抜けずに捕られてしまう。ハードラックな打球が続くと、もっと完璧にとらえなきゃと思ってしまう。完全に悪循環に陥ってしまったんです」

 これだけ不振の原因を示すカルテが手許にあれば復調も難儀ではあるまい。本来の栗原の姿は率も残せるパワーヒッター。「山形の星」で終わるような器ではない。

<この原稿は10年3月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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