元横綱・朝青龍の品格をめぐる問題は、相撲が武道なのか、スポーツなのかという根源的な問いを我々に投げかけていた。武道において、ガッツポーズや派手な喜びの表現が良くないとみなされるのはなぜなのか。ニュージーランド出身で、日本の精神文化を深く研究し、自らも剣道に打ち込む関西大学国際学部准教授のアレクサンダー・ベネット氏に当HP編集長・二宮清純が迫った。
二宮: 以前、鹿屋体育大学で開催された国際武道シンポジウムでご一緒させていただいた時のベネットさんの発言は非常に衝撃的でした。ある柔道の日本人金メダリストが、勝った後にガッツポーズをしたことを批判されましたね。日本人でも、そこまで厳しい指摘をした人間はいないと思います。その理由として、ベネットさんは「残心」の欠如をあげていました。つまり、心身ともに油断をしてはいけないと。これが、もし戦場であればガッツポーズをした瞬間に、相手にやられてしまうかもしれないという趣旨でしたよね。
 その観点から言えば朝青龍も「残心」を最後まで理解できなかったのでしょう。日之下開山と称される横綱を武道の精髄がわからないまま、引退してしまったのは残念でした。
ベネット: いきなり朝青龍の話題ですか(苦笑)。でも、これは彼だけの問題ではないんですよね。私は外国人として日本の武道の世界に入り、死ぬ気で稽古して横綱になった点では彼を評価しているんです。言葉の問題など、日本人力士以上にいろいろな苦労がある中を乗り越えたわけですから。
 彼のガッツポーズに関しては、おそらく自分に対する批判やバッシングに対して「ざまあみろ」という気持ちが込められていたのではないでしょうか。だから、批判されてもガッツポーズを繰り返した。その点では残心の理解とは別のところに問題があったように思います。もちろん、だからと言ってガッツポーズをするのは良くない。「ざまあみろ」と思っていても、その感情を抑えていたほうが、批判勢力に対する最大の反抗になったのですが……。

二宮: 「彼だけの問題ではない」とは、それだけ相撲の世界にガッツポーズが蔓延していると? 
ベネット: ええ。先日、学生相撲を見ていたら、団体戦で勝ったりすると、びっくりするくらいガッツポーズをやってるんですよ。相撲界でいえば、ガッツポーズは朝青龍だけの問題ではない。指導者がそれを学生に教えていないことに残念な思いがしました。

二宮: 剣道ではガッツポーズをしたら、一本は取り消しになりますよね?
ベネット: 「残心」がないとして。取消になります。でも、剣道は竹刀を握っているからできないだけで、ガッツポーズに近い行為はしています。だから、「相撲や柔道と違って剣道は純粋な武道」という考え方には与しませんね。
 そもそもガッツポーズは、ある米国の研究によると人間の本能として自然に出てくるものだそうです。「やったー!」と大きな喜びがもたらされると、アドレナリンが出て体がグッと硬くなる。だから勝った瞬間に拳に力が入るのは誰にでも起こる。それをどこまで抑えきれるかが問題なんです。

二宮: そして、その判断は審判の主観にも左右される。難しいところですね。
ベネット: 剣道では判定に疑義がある場合は主審と副審が「合議」を行って、一本を取り消すかどうかを決定します。明らかなガッツポーズではなくても一本が取り消されることもあるんです。
 たとえば先日、友人が試合で見事な逆胴を決めました。逆胴は普通の胴と違って、竹刀を引きながら相手の左胴を打つので難しい。きれいに決まれば一本になるのですが、友人の場合は、力が入りすぎてクルッと一回転してしまったんです。合議の結果は「取り消し」。その理由は勢い余って、相手に背中を見せたから。背中をみせるのは「残心」の欠如ととられたわけです。いくら一本を獲っても、その決め方に敏感な点は、剣道のおもしろいところだと思います

二宮: 「残心」とは、相手にスキをみせないとか、失礼な態度をとらないといった解釈が一般的ですが、ベネットさんの考えは?
ベネット: 確かに実戦面では、自分が返り討ちに合わないよう、油断せず備えることと言えるでしょう。ただ、僕は先生から、もう一つの意味があると教わりました。それは「懺悔の心」です。人の命を奪ったことに対する悲しみ、反省。これは戦争を体験していない世代では、なかなかわからない感情でしょう。現代の武道で「残心」といっても理解されない面があるのは、時代の影響もあると思いますね。

二宮: 新しい中学校の学習指導要領武道では武道が必修化されました。日本人に失われた「礼節」を重視する意図もあるようですが、ベネットさんのご意見を伺いたい。
ベネット: 武道家としては、多くの子供たちが武道に触れ合う機会が増えるのはうれしいです。やはり少子化の影響もあって、剣道の競技人口はどんどん少なくなっています。現在、高校生で男子が36,000人、女子は20,000人程度。全国では60,000人もいない計算です。柔道も剣道ほどではないにせよ、サッカー、野球に比べたら全然いません。
 ただ、今回の必修化に関しては、いつものことですが、文部科学省に計画性をあまり感じない。その点では、逆効果で子供たちが武道を嫌いにならないか危惧しています。

二宮: 「逆効果」を心配する最大の理由は?
ベネット: 指導者の問題ですね。全国の子供たちに武道を教えようにも、指導者が足りない。全国に公立中学校は約10,000校あります。当然、中学校の体育の先生で武道を専門でやってきた人はごくわずか。各地域に剣道や柔道を学生時代にやっていて、初段くらい持っている人はいるかもしれません。でも、指導できるかどうかは別次元の話ですよね。

二宮: 先程の「残心」といった武道の精神を教えられる人は限られてしまいそうです。
ベネット: そうです。武道にももちろん勝敗はありますが、単に勝った負けたではない部分が大きいですからね。しかも中途半端にやるとケガをしたり、危ないこともたくさんあります。
 慣れていない指導者だと、その部分をカバーするため、どうしても厳しく教えがちです。すると、子供たちは武道を「怖い」というイメージでとらえてしまう。「体育で少し体験したけど、もう2度とやりたくない」と感じる人間が増えてしまわないか……。

二宮: 現状のままでの必修化は不安が大きいと?
ベネット: 地元の町道場と連携してチームティーチングを行うプランもあるようですが、それもきちんと機能するかどうか。体育の先生も、町道場の先生も、それなりにプライドがあるから、うまくいかなかった時は子供たちが不幸な思いをしてしまう。
 とにかく何もかもが中途半端過ぎるので、武道にとって、すごいチャンスだと思いながら手放しで喜べない。今の時点では、どちらかといえば必修化に反対と言わざるを得ませんね。

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