プロ野球を現役引退後、大学院に進学した桑田真澄のケースは大きな話題になったが、ユニホームを脱いでから医者になったのは後にも先にも、この選手くらいではないか。広島、南海で活躍したゲイル・ホプキンスである。
 かつての同僚・衣笠祥雄によれば、ホプキンスは広島市民球場のベンチで医学書を読みふけっていたという。帰国後、医大へ入学して整形外科医となり、現在はオハイオ州で病院を経営しているとか。
 カープの初優勝は、この男抜きには考えられない。主に3番打者として33本塁打、91打点。当時、中国放送ラジオの解説を務めていた金山次郎(故人)はホプキンスがホームランを打つたびに「ピンポン玉みたいに、よう飛んでいくのォ」と溜息まじりに語っていた。そして、もうひとりの助っ人リッチー・シェーンブラム(通称シェーン)の勝負強さも忘れられない。
 この4年後、カープは初めて日本一を達成した。日本シリーズでの“江夏の21球”は球史に残る名場面として今も語り継がれている。この時のカープにはジム・ライトル、ヘンリー・ギャレットという2人の助っ人がいた。勝負強く、率も残せるライトルと、一発屋のギャレット。柔と剛の名コンビだった。

 このように「赤ヘル軍団」と恐れられた頃のカープには、常に輸入した二門の砲台が用意されていた。ところが最近はどうか。旧式の火縄銃や高く上がるだけで飛ばないといわれた“明治の大砲”ばかり。ハズレが続くのは、あながち資金難のせいばかりではあるまい。
 今季の新外国人はオーストラリアの大砲ジャスティン・ヒューバーと巧打者という触れ込みのジェフ・フィオレンティーノ(通称フィオ)。とりわけヒューバーは野村謙二郎監督が大のお気に入りで、主砲・栗原健太の補佐役として期待されている。しかし、2人ともスイングの響きは快音ではなく擦過音。オープン戦からずっとこうなのだから、劇的な変化を望むのは酷だろう。

 悪いことは言わない。使えないのなら、早いうちに取り代えるべきだ。そのうち、そのうちと淡い期待を寄せているうちにゲームはどんどん消化されていく。戦力的に劣るチームが後手に回っていては勝負にならない。何もしないリスクと何かをするリスクを秤にかければ前者のほうがはるかに大きい。

<この原稿は10年3月31日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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