「思う一念岩をも通す」。
 そんな格言がある。
 一筋に思えば、そのエネルギーは、やがて岩をも貫くという意味である。
 サッカー日本代表キャプテン中澤佑二のサクセス・ストーリーを見ていると、いつもこの格言を思い出す。

 日本で初めてのプロサッカーリーグ・Jリーグが誕生したのは中澤が高校1年の春である。高校を出たらプロになり、将来は日本代表でキャプテンマークのバンドを腕に巻く――。それが中澤の夢だった。
「だから、タラタラやっているヤツがまわりにいると許せなかった。結構、後輩の中にはヘラヘラしたヤツが多かったので“そんなヘラヘラやってるんだったら、もうサッカー部に来るな。辞めちまえ!”と怒ったら、本当に半分くらい辞めてしまった。“中澤先輩がいるから辞めます”って(笑)」
 当然、ひとりだけ浮きまくった。周囲の視線も冷たかった。
「あの頃のオレはヤバかったですね。まわりが全く見えていなかった。だから未だかつてサッカー部の同窓会とかに呼ばれたこともない。普通、引退したら一回くらいは皆で集まるでしょう。それもない。なにしろ同級生の友達もいないくらいですから」

 うまくなるには、どうすればいいか。
「ブラジルへ行こう」
 決断は早かった。中澤は高校3年の夏、一カ月間だけだがブラジルにサッカー留学する。
「オレ、もっとブラジルでやりたいんです」
 クラブの関係者に告げると、笑顔で返してきた。
「じゃあ高校を卒業してからおいでよ」

 卒業後、スポーツバッグひとつ提げて地球の裏側へ。ここで中澤は厳しい現実を知る。
「“裸でやれ”って言うんですよ。“いや、それは無理”って断ったら、ボロボロの練習着を渡された。“オマエは日本人だからこれを着ろ!”ってね。
 他の選手たちは皆、ピカピカのユニホームを着ているんです。オレだけ破れたシャツやインナーが見える裂けたパンツ。まるでチャイナドレスですよ。

 そんなことばかりだから、最初の3カ月はずっと日本に帰りたいと思っていた。サッカーもうまくならないし。でもランニングにしても、ずっと先頭で走っていたら、いつの間にか他の選手が声をかけてくれるようになった。すると練習でもパスがくるようになるんです。
 その時に思いました。ふてくされずに真面目に頑張っていたら、いつかは認めてくれるんだなって。それは日本もブラジルも同じかもしれないですね」

 成功に近道はない。信じた道は愚直に突き進む。理不尽な現実が目の前にあってもクサらない、ふてくされない、そしてブレない。自分を鍛えることができるのは自分だけである。

<この原稿は2010年5月『BIG TOMORROW』に掲載されたものです>

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