「鳩山政権、支持率低下」「鳩山政権、迷走」……。
 このところメディアでは鳩山由紀夫内閣に対する厳しい論調が続いています。それにともなって僕のところにも、皆さんからさまざまなご意見をいただくことが多くなりました。政権与党となると現実の政治を動かしていかなくてはいけません。単に問題点を指摘し、批判をしていた野党時代とは立場が違います。マニフェストに掲げていた政策がなぜ実現できていないのか、進捗状況はどのあたりなのか。可能な限り、情報公開をしながらしっかり説明をしていきたいと考えています。
 確かに普天間基地の移転問題や、高速道路の無料化など、選挙の時点でお約束していた内容と、実情に乖離が出ているのは事実です。ただ、普天間問題に関しては自民党政権が辺野古沿岸部に移設候補地を定めながら、10年以上も何も進展させることはできませんでした。日米安保の名の下に沖縄に多くの米軍基地を設け、負担を強いる現状をいつまでも放置しておいてよいのか。この根本的な問いが鳩山首相を早期決着へと動かしているのです。期限と定めている5月末に、すべての方に納得いただける解決に至るのは難しいかもしれませんが、それでも何もしなければ、物事は動かせません。基地のない日本、平和な日本は誰もが抱く理想です。そこへ少しでも近づけるよう努力していることはぜひご理解いただきたいと感じています。

 高速道路については、皆さんもご存じの通り、政府が新料金を6月から導入することを決定しました。公約では無料化を掲げてはいましたが、愛媛の松山〜大洲間など一部のみの実施となります。新料金では普通車の上限は2000円と定められた一方、本州と四国を結ぶ架橋の通行料は3000円となりました。つまり、東京や大阪から九州へは2000円で行ける一方、四国には5000円が必要になる計算です。

 マニフェストに掲げた高速道路の無料化には、物流を活性化させ、経済を活性化させる目的がありました。加えて現在の高速道路料金体系は、ETCの有無、通行距離や時間帯によって異なり、複雑になりすぎています。これをシンプルにすることで、料金計算のコストや料金所の人員を削減する効果が見こまれていました。この大前提に立てば、地域によって料金が異なる今回の新制度は、再検討の余地があるのではないでしょうか。この件については、早速、四国選出の国会議員で前原誠司国土交通大臣に他と同一の設定にするよう要望を出してきました。

 本四連絡道路のみ3000円にした理由として、フェリーや鉄道に対する配慮が挙げられています。それは当然のこととしても、たとえば今治と尾道を結ぶ「しまなみ街道」は経由する島々の住民の皆さんにとって大切な生活道になっています。その人たちの負担だけが大きくなることも避けなくてはなりません。すべての方がハッピーになる施策をつくるのはなかなか困難ですが、「最大多数の最大幸福」を追求することは政治の役目です。鳩山首相も前原大臣も国会の中でしっかり議論することを表明しています。議員全員で知恵を絞ってよりよいものができればと思っています。

 さて23日からは第2弾の事業仕分けもスタートしました。今回のターゲットは独立行政法人です。スポーツ関連でもtotoを運営するスポーツ振興センターが対象になっています。僕は仕分けに直接かかわっていませんが、先日は事前調査のため、仕分け人の方とともに日本オリンピック委員会(JOC)と日本体育協会を視察に行ってきました。調査の結果、両組織とも役員に元官僚が1人ずつ天下りしており、約1500万円の報酬を受け取っていることが判明しました。

「この団体はどんな目的を持って活動していますか?」
 仕分け人の質問に対し、体協の担当者の答えはしどろもどろでした。体協の目的は「国民スポーツの統一組織として、子どもたちから高齢者まで、生涯スポーツ社会の実現に向けた事業を推進する」とHPにも明記されています。このような組織がアマチュアスポーツを管轄していると思うと、少し寂しい思いがしました。

 日本のスポーツをどうすべきなのか、どうしたいのか。残念ながら視察の中では見えてきませんでした。その一因として組織内の人事や予算配分が硬直化している点を挙げざるを得ません。体協の役員は各加盟団体で枠が決まっており、なぜか学識経験者として国会議員や競技団体の会長が入っています。これは役員選考が形骸化している証拠でしょう。変化のない組織から、時代の流れに対応した新しいアイデアが生まれるのは難しいものです。現在、公益法人改革により、すべての財団法人は公益財団法人と一般財団法人の2つに分けられることになります。団体のあり方を見直すには絶好の機会です。

 僕が所属している総務委員会では地方分権に向けた法案の審議もスタートしました。戦後60年以上、続いてきたものを変えるにはそれなりの時間と労力が必要です。歩みは遅いかもしれませんが、一歩ずつ着実に政権効果の成果をお見せしていきます。大胆な変化を期待した国民の皆さんにとっては不満も多いかもしれませんが、もう少し長い目で見ていただけると幸いです。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
>>友近としろう公式HP
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