ワールドカップを5大会連続で取材、観戦したが、一番楽しかった思い出は94年米国大会、サンフランシスコ郊外のスタンフォード・スタジアムの裏庭で “草W杯”に出場したことだ。
 ブラジル−ロシア戦が終わり、ゲートを出て木立の中を抜けると、そこには一面の芝生が広がっていた。帰路につくためのバスが待機しているのだが、何しろスシ詰め状態だから、自らの乗るバスの進路が開くまでには、気が遠くなるほどの時間がかかる。
 バスを待つ間、芝生の上にはいくつもの輪ができた。そこではボール持参のブラジル人を中心にしたパス回しが行われており、誰かがいきなりドリブルをすると、それを合図にゲームは唐突に始まった。

 ゴールはどこかから運んできたドラム缶2本。その2本を結びつけた直線がおおよそのゴールラインであり、タッチラインは存在しない。チームの分け方は裸の者とシャツを着ている者。子供もいれば老人もいる。バスを待っている者なら誰でも自由に参加することができる。
 そのシーンを遠くから眺めていて無性にボールが蹴りたくなった。シャツを脱いで裸組に加わり、控え目に後ろの方でウロチョロする。しばらくして面白いことに気がついた。年配のブラジル人は皆、ペレになりきり、子供たちはロマーリオだ。年老いたペレは当然のごとくチームを仕切り、小さなロマーリオはゴール前を離れようとしない。いつの間にか我々の“チーム”にはオランダ人やドイツ人も加わり、クライフやベッケンバウアーもいる豪華な陣容となった。

 かくしてスタジアムの壁を一枚隔てた芝生で行なわれた“草W杯”は最終バスが出払うまでメンバーを替えながら延々と続いた。芝は地平線の先まで広がり、ボールはどこまでも転がり続ける。ひとつのボールに人が集まり、輪ができ、自然発生的にゲームが始まる。フットボールの原点がそこにあった。

 治安の悪化が懸念される南アフリカで“草W杯”は開催されるのだろうか。即席のチームの中にメッシやルーニー、本田らはいるのだろうか。FIFAは今大会を「チャレンジ」と位置付けている。アフリカ大陸初のW杯が犠牲の上に成り立つ「成功」でないことを祈っている。

<この原稿は10年6月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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