東京ヤクルトの監督も務めた古田敦也といえばキャッチャーでは野村克也以来、2人目の2000本安打を達成した名選手である。
 強肩、強打、頭脳派のキャッチャーとしてヤクルトの5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献した。
 しかし、アマチュアからずっとエリート街道をひた走ってきたわけではない。
 私は今でもそのシーンを忘れることができない。立命館大学4年の古田はドラフト会議当日、学内の会議室でプロからの指名を待っていた。
 実は関西のある球団が「必ず指名する」と事前に古田に伝えていたのだ。
 しかし待てど暮らせど、お呼びがかからない。会議室にひとり取り残された古田は寂しそうに身を縮めていた。

 当時の球界には「メガネを掛けたキャッチャーは大成しない」という“定説”があった。古田はそれに引っかかったのだ。
「当時、阪神の監督だった村山実さん(故人)が最初におっしゃったんじゃないかと思うんです。これは後日談ですけど、村山さん本人が、テレビか何かで“オレはキャッチャーが欲しいから獲れと言ったのに、スカウトにメガネを掛けたキャッチャーはダメです、と反対された”とおっしゃったらしいんですね」

<この原稿は「ビッグトゥモロー」2010年7月号に掲載されました>
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