プロに蹴られた古田は社会人野球の強豪トヨタ自動車に進み、ソウル五輪にも出場した。
 当時の日本代表には野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男、佐々岡真司、与田剛ら錚々たるメンバーが名を連ねていた。彼らのワールドクラスのストレートや変化球を受けることで古田はキャッチャーとしての腕を上げていった。
 社会人での実績が認められ、古田はようやくヤクルトから2位指名を受ける。この時、既に24歳。
 年齢からして2軍で1、2年腕を磨いているような時間はない。カネを稼ぐには、1試合でも多く1軍のゲームに出なくてはならない。
 そのためには、どうすべきか。監督に気に入られるより他に方法はない。プロ野球における選手起用は監督が全権を握っている。どんなに実力があっても、監督に使う気がなければベンチを温めるしかないのだ。

 この年、ヤクルトの監督には野村克也が就任した。知将に気に入られるためには、彼の目指す野球を理解しなければならない。
 そこで古田は何をしたか。
「まず本屋に飛び込みました。監督の野球を理解しようと。すると4冊あった。それを全部買い込み、勉強しました」
 上司は何を望み、何を求めているか。それを探るのも部下の仕事のひとつである。
 どんなにきれい事を言っても、使ってもらわなくては何もできない。そうであれば上司の考え方を前もって予習しておくに越したことはない。
 そのくらいのしたたかさと賢さがなければ、生き馬の目を抜く世界で生き残ることはできない。

<この原稿は「ビッグトゥモロー」2010年7月号に掲載されました>
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