(このコーナーでは毎月、当サイトのスタッフライターがおすすめするスポーツ界の“新星”を紹介していきます。月2回更新です。どうぞご期待ください)

 チャーリー太田というボクサーの魅力が凝縮されたような試合だった。
 9月4日、OPBF東洋太平洋・日本スーパーウェルター級タイトルマッチ。王者・チャーリー太田(八王子中屋)対挑戦者・湯場忠志(都城レオスポーツ)。湯場は2000年の日本ライト級王座獲得を皮切りに、階級を上げ、スーパーライト級、ウェルター級を制覇した33歳だ。この試合で前人未到の4階級制覇を狙っていた。戦績は44戦37勝(28KO)5敗2分。経験豊富なサウスポーである。
 かたやニューヨーク出身のチャーリーはプロ転向4年目。米海軍の艦船整備士として来日し、八王子中屋ジムにはシェイプアップ目的で入った。この3月にOBBFと日本のチャンピオンベルトを初挑戦で獲得した新鋭だ。戦前の予想は互角。パワーのある両者だけに打ち合いが予想された。

 兼ね備えた強打と打たれ強さ

 会場は満員の後楽園ホール。残暑と呼ぶには厳しすぎる外の暑さを場内にそのまま持ち込んだような熱気がリングには充満していた。第1Rのゴングが鳴る。王者は強打の相手から距離をとり、繰り出されるパンチを軽快なステップでかわす。しかも長い腕をぶらんと下げて、相手が踏み込んできたところへフリッカージャブや右のボディを素早く打ち込んだ。一見、トリッキーにも映る立ち上がりだが、そこにはチャーリーならではの戦略があった。
「相手に打たせてカウンターを狙う目的も当然あったんだけど、それと同じくらい自分をリラックスさせたかった」

 立ち上がりには苦い記憶がある。前回6月に行われた初防衛戦での出来事だ。相手はオーストラリアのキング・デビットソン。1R、チャーリーは相手の左ストレートと右フックをまともにくらい、ダウンを喫してしまったのだ。ジムの中屋廣隆会長はこう解説する。
「向こうが完全に狙っていたパンチにやられてしまった。その前から何回か同じタイミングで試みていましたからね。チャーリーがそれに気づかなかった」
 本人曰く「完全なミステイク」で、あわやKO負けになりそうなダメージを負った。2R以降は盛り返して、なんとか判定で逆転勝利を収めたものの、試合の入り方は課題として残った。リングの上で与えられた宿題は次の戦いのゴングが鳴るまでにしっかり消化する。その姿勢がチャーリーを異国の地でチャンピオンに押し上げた。

 リラックスを心がけた立ち上がりを乗り切ると、目論見どおり、徐々に王者のパンチは挑戦者をとらえはじめる。チャーリーの強みは、その長いリーチにある。今回、湯場とは15センチも身長で下回りながら、リーチでは逆に3センチも上回った。まるで如意棒のようにグイッと伸びる太い腕が長身ボクサーの顔面にヒットする。湯場の右まぶたはパンチを浴びるごとにうっ血し、視界をさえぎるほどに腫れあがった。
「彼は大きいので動きはあまり速くない。だから速いジャブで主導権を握ることはポイントでした。湯場さんのほうがラウンドを追うごとにダメージを負っていたし、自分はスタミナがキープできていた。自分のペースだと感じていました」

 4Rを終えて公開された採点は2者がチャーリーを支持した。しかし7R、ピンチが訪れる。カウンターの左が入り、一瞬、体が落ちかけた。「あれは確かに効きました」。チャンスとみたチャレンジャーは一気に連打の雨を降らせる。チャンピオンの足は完全に揃い、棒立ち状態だ。ただ、しっかり、長い腕を折り曲げ、亀のように急所を保護した。
「チャーリーの良さは打たれ強さ、ディフェンス力にあるんですよ」
 そう明かすのは中屋会長だ。
「あの試合、僕が見た中でまともにもらったのはあの一発だけだったね。あとは全部パンチを外していた。傍目には当たっているように見えても、ピンポイントで芯を喰わない限り倒れない。チャーリーはわずか100分の1秒でも、ほんの1センチでも、そのピンポイントを外せる力が身についている」

「まだつくりあげている途中のボクサー」

 8Rを終えた時点での公開採点の結果は1者がチャーリー、1者が湯場、残り1者はドロー。スコアは本人にとって想定外の接戦だった。
「もっと攻撃的にいかないと」。終盤のチャンピオンはギアが切り替わったように、みるみるアグレッシブになっていく。小さなパンチを回転させてリズムをつくり、チャンスとみるやワンツーとストレートを叩き込む。さらに空いたボディにもフックを入れる。一方の挑戦者は初の東洋太平洋王座戦のため、12Rの長丁場は経験したことがない。エンジン全開の王者とは対照的に挑戦者はガス欠になりつつあった。

 それでも11R、湯場は最後の力を振り絞って攻勢に出る。カウンターの右フックで、チャーリーの足が止まった瞬間、自らの両拳をバンと叩いて気合を入れた。そして猛然と襲い掛かった。
「そうか、じゃあわかったよ!」
 相手が勝負に打って出た姿を見て、チャーリーも心の中で叫んだ。アドレナリンはMAXに達した。挑戦者の気持ちが王者の心にも火をつけたのだ。猛攻を耐えると今度は反転攻勢をみせる。右フックを返すと湯場は後退。そこへ倍返しのパンチを見舞った。満員の観衆はこの日、最大の見せ場に大きく沸いた。

 最終12Rもチャーリーは手を止めることはなかった。矢継ぎ早に出る王者の赤いグローブと、血で赤く染まった挑戦者の顔面が重なると、ハレーションを起こしているように見えた。これでは、さすがの3階級制覇の強者もダウンをこらえるのが精一杯だ。判定は3−0(116−113、116-113、115−114)。ラスト3Rは完全にチャーリーが制していた。

 試合終了まで戦い、勝ち抜けるだけのタフさ。これも王者の強みである。そのきっかけはデビュー戦にあった。初めての試合で最も印象に残ったのは相手のパンチに対する恐怖心や緊張ではない。「ボクシングは大変、チョー疲れた」。正直、「本物の(プロの)ボクシングはムリムリムリ」とさえ思った。「でもやりたい。どうやってスタミナをつくるのか」。その答えはたゆまぬ練習しかなかった。朝夕、トレーニングを欠かさず行い、単なるシェイプアップではないプロボクサーとしての体をつくりあげた。それが最後の最後でモノをいった。

「僕は1試合1試合頑張って頑張って強くなった。湯場さんのような経験のある強い相手を戦ったのは初めて。その意味では一番いい経験ができたし、いい試合ができた」
 チャーリーはそう振り返る。設定したハードルを確実にクリアできる能力、長いリーチから飛び出す強打、打たれ強さと高いディフェンス力、そして強靭なスタミナ――。確かに彼の特徴が存分に出た36分間だった。

「あと1回、2回(試合を)やって世界戦をやりましょう」
 試合後のインタビュー、ファンに向かってチャーリーはこんな約束をした。それを単なる夢物語とは呼ばせないことは自らの拳で証明した。
「狙ったカウンターなんて、まだ1度も打てていない。そのレベルまでいっていないからね。まだチャーリーはつくりあげている途中のボクサーなんだから」
 中屋会長はそう言って不敵に笑う。だとすれば、この先、どこまで強くなるのか。黒船、来る――。チャーリー太田がボクシング界を席巻する日は、そう遠くないうちにやってくるのかもしれない。

(後編につづく)

チャーリー太田(ちゃーりー・おおた)プロフィール>
1981年8月24日、米国ニューヨーク州ニューヨーク市出身。本名はCharles Nathaniel Bellamy。米海軍の艦船整備士として来日し、横須賀基地に赴任。シェイプアップを目的に八王子中屋ジムでボクシングを始める。06年に全日本社会人ボクシング選手権大会のウェルター級で優勝。同年、プロデビューを果たす。身長168センチながら長いリーチを生かしたハードパンチを武器に力をつけ、09年7月の「最強後楽園」ではスーパーウェルター級を制覇。大会MVPに輝くとともに、日本王座への挑戦権を得る。今年3月、OPBF東洋太平洋・日本スーパーウェルター級王者の柴田明雄(ワタナベ)に初挑戦すると8RTKO勝ちを収め、両王座を獲得。6月に初防衛を果たし、9月にも日本王座4階級制覇を狙った湯場忠志(都城レオスポーツ)を判定で下して2度目の防衛に成功。世界も狙える位置につけている。戦績は17戦15勝(10KO)1敗1分。

(石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから