振り返って思えば、結び前の大関・把瑠都の波離間投げが大波乱の呼び水だったのか。横綱・白鵬の連勝記録が63で止まった。
 稀勢の里が得意とする左四つ、右上手の体勢にさせてしまったところで余裕が消えたようだ。難局を打開するために仕掛けたすくい投げも内掛けも苦し紛れ。前に出る稀勢の里に攻め立てられ、正面土俵に寄り切られた。
 しかし、敗因なんて後になれば何とでも言える。64連勝に失敗したことより、史上2位の63連勝を記録したことを寿(ことほ)ぐべきだろう。月曜日は稀勢の里の日だったのだ。

 白鵬と長時間、ヒザを交えて話したことがある。昨年8月のことだ。“昭和の角聖”双葉山への畏敬の念は、こちらが想像していた以上だった。不滅の69連勝に話を向けると、「僕は69代横綱。そういう縁があるんだと思います」。舌も滑らかに、そう言った。
 双葉山と言えば「イマダ モッケイタリエズ」の名言で知られる。連勝が69で止まった時、陽明学者・安岡正篤の弟子・竹葉秀雄からの「サクモヨシ チルモマタヨシ サクラバナ」の電報に返信したものだ。

 このあたりの経緯を双葉山は自著『横綱の品格』でこう述べている。<(電文は)当時のわたしの偽りのない心情の告白でありました。わたしのこの電報はただちに中谷氏(清一、安岡門下生)によって取り次がれたものとみえて、外遊途上にあられた安岡先生のお手もとに届いた由、船のボーイは電文の意味がよく呑みこめないので、「誤りがあるのではないだろうか」と訝りながら、先生にお届けしたところ、先生は一読して、「いや、これでよい」といって肯かれたということを、あとになって伝えきいたような次第です>。こうした事情にも白鵬は精通していた。ひらたくいえば彼は“双葉マニア”である。

 連勝記録が止まった翌日の朝日新聞の見出しは「白鵬 木鶏たりえず」だった。双葉山への道、遥かなりということか。
 むしろ、と私は思う。双葉山の呪縛と連勝記録の重圧から解き放たれた今こそ、木鶏の故事からそろりと距離を置いてみてはどうだろう。白鵬には白鵬の進むべき道がある。平常心と自然体を取り戻し、そして再びの出発だ。

<この原稿は10年11月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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