この10月をもって徳島の監督を退任しました。現在は故郷の広島県府中に戻り、実家の飲食店を手伝っています。今季は残念ながら目標にしていた優勝、そしてリーグチャンピオンシップ進出を逃してしまいました。来季こそは、との思いもある一方で、家族のこともあり、監督を続けるべきかどうか直前まで悩んでいたのは事実です。最終決断をしたのは10月のみやざきフェニックス・リーグの期間中でした。
 2年間の監督生活を振り返ってみると、やはり荒張裕司(北海道日本ハム)、弦本悠希(広島7位指名)と2年連続で選手をNPBへ送り出せたことが一番の思い出になります。今回指名を受けた弦本に関しては昨季の入団時から期待の右腕でした。何よりバッターをねじ伏せるスピードボールは魅力的です。ただ、1年目の課題は経験が浅く、マウンド度胸がなかったこと。ピンチを迎えるとベンチからでも足が震えているのが分かるほどでした。

 しかし、今季はオフの間にしっかり練習を積み自信がついたのでしょう。マウンドで堂々と投げられるようになりました。技術的にもスライダー、フォークといった変化球のコントロールが改善されたのが大きかったです。おかげで、より速球を生かすピッチングが可能になりました。クローザーとして1勝3敗13セーブ、防御率2.32。夏場以降、調子を落とした時期もありましたが、スカウトの方に成長した部分を評価をしていただけたのではないでしょうか。

 彼のストレートは高めだとスピンがかかり、NPBのバッターでも容易には打てません。ところが、低めの直球は押し出すような感じでコントロールしているため、威力が弱まります。低めも高め同様、しっかり指先にかかったボールが投げられれば、もっと持ち味が出るはずです。また、広島は練習が厳しいことでも知られています。弦本はランニングが苦手なため、このオフもしっかりトレーニングをして出遅れないように頑張ってもらいたいものです。

 弦本の力をもってすれば、中継ぎで1年目からチャンスがあるとみています。広島ですから1軍で活躍してくれれば、仕事休みで応援に行く機会もつくれます。マツダスタジアムで投げる姿を1日も早く見られるよう願っています。

 徳島で指揮を執るまで少年野球の指導が主だった自分にとって、NPBに行く一歩手前の若者を任せられたことは非常に勉強になりました。選手によって、レベルアップするために取り組むべきことはさまざまです。指導者は1つの方向ではなく、さまざまな角度から選手にアプローチする必要があります。その見極めや、引き出しづくりは大変な作業でしたが、同時にやりがいも感じました。

 そもそも監督業自体が僕にとっては初体験でしたから、実戦になると采配に頭を悩ませることもありました。そこはコーチと相談しつつ、その時、その時で調子の良い選手を起用し、勝つ確率の高い方法を選択してきたつもりです。とはいえ、ファンのみなさん、選手たちに優勝の喜びを与えられなかったのは、すべて監督に責任があります。特に今季の後期は、高知とリーグチャンピオンシップ進出をかけて、年間勝率2位争いをしていました。最後は8連勝と勢いに乗りながら、高知との直接対決で敗戦。ポストシーズンを戦う権利を失ってしまいました。

 頑張ってきた選手たちを勝たせてやれなかったのは、本当に申し訳なく思っています。ただ、こういった“負けられない戦い”を経験したことは、来季に必ず生きるはずです。引き続きプレーする選手たちは、新監督の下、2011年こそ優勝と自らのドラフト指名に向かって突っ走ってほしいと思います。

 僕は野球バカで、野球をとったら何も残らない人間です。また飲食店を営みながら、地元を拠点にして野球に携わる生活になることでしょう。そんな時、徳島での2年間がきっと役に立つはずです。本当に徳島のみなさんにはお世話になりました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。また、どこかの球場でお会いできることを楽しみにしています。


堀江賢治(ほりえ・けんじ)プロフィール>:徳島インディゴソックス前監督
1970年8月8日、広島県出身。広陵高から89年、ドラフト4位で大洋(現横浜)に入団。3年目に1軍昇格を果たし、ショートを中心に61試合に出場する。95年、水尾嘉孝、渡部高史とともに、飯塚富司、伊藤敦規とのトレードでオリックスへ移籍。2軍で首位打者を獲得したが、翌年には高嶋徹とともに大島公一、久保充広とのトレードで近鉄へ。98年限りで引退後、地元で少年野球の指導をしていた。現役時代の通算成績は172試合、打率.250、4本塁打、29打点。09年より徳島の監督に就任。今季限りで退任した。
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