プロデビュー後14戦無敗のままフェザー級日本王者となった粟生隆寛は、わずか24歳の若さで世界のベルトを巻いたエリートボクサーだ。現在は階級を上げ、2階級制覇を目指しており、26日のWBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチに挑む。
 数々の世界チャンピオンを輩出した名門・帝拳ジムに所属する粟生のボクサーとしての原点を、3年前の原稿で振り返る。
<この原稿は2007年2月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 本人はどうもその言葉が好きではないようだが、粟生隆寛がボクシング界に出現した「若きエリート」であることは間違いない。
 千葉・習志野高在学中に、史上初の高校6冠を達成した。高1で選抜大会優勝、高2で高校総体、国体、選抜大会優勝、高3で高校総体、国体優勝――。アマ戦績は76勝(27KO、RSC)3敗。喫した3つの黒星も、すべて高1の時のものというのだから恐れ入る。

 03年9月、プロデビューし、現在、13戦13勝(8KO)。破竹の快進撃を続けている。
「これだけ注目されている以上は、常に“これで負けたら終わりだ”という気持ちでやっています」
 22歳の若さながら、浮ついたところがない。地に足がしっかりと着いている。子供の頃から世界チャンピオンになることだけを夢見、ボクシングに打ち込んできた。登山でいえば、まだ3合目か4合目という意識が本人はあるのだろう。

 デビュー間もない頃「東の粟生、西の亀田」とうたわれた。「西の亀田」とは現WBAライトフライ級王者・亀田興毅のことである。
「直接会ったことはないし話したこともない。まぁ自分の名前が出てくるのはいいことなんでしょうけど、自分の試合で向こうの名前が出てくるのはどうなのかなと……」
 メディアはライバルと騒ぐが、本人には実感がないようだ。自分は自分、亀田は亀田との割り切りがあるのだろう。しかも階級が異なるので、将来、グローブを交えることもない。それもあって必要以上に亀田の存在を意識することはないという。

 だが、決して共通点は少なくない。ふたりとも将来を嘱望される逸材であることに加え、父親の強い影響を受けてボクシングを始めている。粟生は父・広幸氏の指導の下、3歳でグローブを振った。サウスポースタイルに構えるのも父親の教えだ。
 プロボクシングのメイン会場といえば東京・後楽園ホールだが、父親に連れられて少年時代からプロの試合を生で観戦している。

「だから今でも後楽園ホールに来ると、自分のホームだという意識があるんです」
 屈託のない表情を浮かべて粟生は言い、続けた。
「小学生の時、日本チャンピオンのベルトを腰に巻いたことがあるんです。(ミニマム級の)江口九州男選手。自分が観に行った選手がたまたま隣の控え室だったので。プロのジムにもいろいろと足を運びましたね」
 81歳になる帝拳ジムの長野ハル・マネジャーは粟生が小学生時代、ジムに見学に訪れたことをはっきりと覚えている。
「お父さんに連れられて弟(竜太、S・フェザー級選手)とよく一緒に来てましたよ。小さくてモノも言わないおとなしい子でした」
 父親からは少年時代、故・大場政夫のビデオテープをよく見せられた。「将来は大場政夫のようなボクサーに」との思いがあったのだろう。
 大場政夫――他界して早いものでもう34年が経つ。彼よりも偉大なボクサーはファイティング原田をはじめ、この国には何人もいるが、伝説のファイターは彼を措いて他にはいない。
 粟生の父親同様、私にとっても大場は少年の日のヒーローだった。
 忘れもしない1973年1月2日、東京・日大講堂で行われたチャチャイ・チオノイ(タイ)戦。初回、大場はいきなりチャチャイのロングフックをくってダウンを奪われる。倒れる際に右足首をひねり、試合続行は不可能と思われた。
 ところが、大場はここから驚異的な粘りを発揮する。足を引きずりながらも老獪なタイ人に打ち合いを挑み、ついに最終の12回、逆転KOで5度目の防衛を果たしたのだ。どんな優秀な映画のシナリオライターでも、あのようなドラマの筋書きは書けないだろう。
 ドラマには続きがあった。この伝説のタイトルマッチのわずか3週間後の1月25日、愛車シボレー・コルベット・スティングレーを運転していた大場は帰らぬ人となる。首都高速で対向車線から走って来たトラックと衝突。23歳の短い生涯を閉じたのである。

 その大場が使っていた板製の腹筋台が今も帝拳ジムに残っている。かかとを固定する部分がへこんでいるのは、何百人いや何千人ものボクサーがこの台で世界チャンピオンを夢見たことの証である。
 帝拳ジムに伝説のボクサーの痕跡をとどめるものは他にはない。しかし、大場が残した不屈のスピリットは今も脈々と受け継がれている。

 長野マネジャーに「粟生と大場の共通点は?」と訊ねると、こんな感想が返ってきた。
「粟生君も大場君もリングに上がってからの度胸がある。大場君なんて、練習では“これで大丈夫なの?”と思うくらいよく打たれるんです。恐らく本人は“練習は面倒臭いから打たせてもいいや”なんて思っていたんじゃないかしら。
 粟生君も練習の倍の実力がリングでは出てると思いますよ。長い間ボクシングを見ていますが大切なのは何よりも度胸ですよ。
 大場君もそうでしたが、粟生君もリングに上がるのが本当に楽しそう。こういうボクサーが将来的には大成するんだと思いますよ」

 世界を獲り、長きに渡って防衛するためには、クリアすべき課題もある。そのひとつが右の使い方。元来、右利きであるのになぜか右の使い方がうまくない。
 それについて本人はこう語る。
「(ジャブを突く)右で距離をはからなくても左が当たってしまうんです。だから左に頼ってしまうんです。右で誘い、距離をはかってから左を打つという練習を今しているんですけど、なかなかうまくなりませんね」

 座右の銘は「雑草の如く逞しく」。エリートボクサーらしからぬ言葉に心の奥に宿る反骨の魂が見てとれた。
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