「岩隈病」という言葉を“発案”したのは、東北楽天元監督の野村克也である。「投手陣は岩隈病にかかっている。すぐにマウンドを降りたがる」「燃え尽き症候群なんじゃないのか?」
 もちろん、これはノムさん流の言葉による“愛のムチ”である。悪気はない。無視、称賛、非難。ノムさんは選手を三流から一流まで3段階で格付けする。岩隈は最上位に位置していたわけだから、考えようによっては、これは大変な名誉である。
 しかし、頭では分かっていても感情は別だ。新聞を開くと、読みたくなくても無慈悲な言葉が次から次へと目に飛び込んでくる。「全然、おもしろくないです。傷付きますよ、むしろ」。いつだったか、そう言って表情を消し、ポツリと続けた。「なるべく見ないようにしています。見ても自分の中では何のプラスにもなりませんから」
 やり場のない怒りや寂しさをクールな表情にくるんでマウンドを守ってきた。「ではベンチに一番求めていたものは?」「それは信頼です」。間髪入れずに答えた。「ピッチャーって自信がなかったらいいボールは放れない。誰かに認めてもらいたい。信頼してもらいたい。それがなかったらピッチャーは不安になる。(文句ばかり言われていたら)オレのポジションって何なんだろうと思ってしまう…」

 ノムさんとてボヤいてばかりいたわけではない。ダルビッシュ有に投げ勝った時には「岩隈の方が安定感がある」と最大級の賛辞を送っている。その紙面を見せた。「あぁ、こんなことも言ってくれているんだ。こう言っていただければ僕は本当に嬉しい。“よし、やってやろう”という気持ちになりますよ。いったい、どっちが監督の本当の言葉なんだろう、と分からない時があった。でも、そういう中で僕は成長を遂げられたと思っています」

 ポスティングによるメジャーリーグ移籍が空振りに終わり、楽天残留がほぼ確実となった。「歩み寄ろうとする気持ちがないのなら、必要とされていないのかなと思う」。岩隈が一番、求めていた「信頼」を残念ながらアスレチックスから感じ取ることはできなかった。ここまで挫折を糧にして生きてきた。彼の反骨心はダテではない。「お帰り。オマエと一緒にやりたかった」。そのひと言が一番似合いそうな人がエースの「復帰」を待っている。

<この原稿は10年11月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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