球団創設3年目の今シーズン、後期で北陸地区での初優勝を果たしました。前期覇者の石川ミリオンスターズとの地区チャンピオンシップでも3試合いずれも2点差以内の接戦を演じました。結果的に負けはしたものの、最下位から脱出することができなかった過去2年間の屈辱を晴らすことはできたのではないかと思っています。
 特に躍進したのは打撃面です。過去2年間のチーム打率はリーグ最下位でしたが、今シーズンは群馬ダイヤモンドペガサスに次ぐ2位。さらに安打数2位、犠打数1位タイ、盗塁数2位と、上位に入っている項目がグンと増えました。これまでは投手陣がいくら頑張っても得点することができず、なかなか白星を増やすことができなかったのが最下位となった主な要因でした。しかし、今シーズンは打線の実力も伴ったことで、ゲームらしいゲームができました。

 なかでも犠打の成功率が高まったことによって、打線につながりができたことが大きかったと思います。これまでは無死一、二塁など、いい場面で犠打のサインを出しても、失敗の確率が多かったのです。しかし、今シーズンは成功の確率がアップしたことで、チャンスが広がりました。また、足で塁を稼ぐこともできました。内田享良(山梨学院大附属高−専修大−IMGアカデミーズ−ケベックキャピタルズ−石川)や西川拓喜(三島学園高−白鴎大)、北田亘(酒田南高−専修大)など俊足の選手がそろったことこで機動力をいかした野球をすることができたのです。

 一方、投手陣の方は前期途中から藤井宏海(福井工大福井高−千葉ロッテ−三菱自動車岡崎)、岩井昭仁(岐阜総合学園高−愛知学院大−ヒタチエクスプレス)、高谷博章(北海高−浅村学園大)の3人が頑張ってくれました。しかし、逆に言えば、その他の投手陣がうまく機能しなかったということでもあります。どの投手も練習ではいいピッチングをするのですが、試合となると、実力を発揮することができないのです。

 開幕直後は、岩井はオープン戦でのケガ、高谷は開幕後の登録で2年間のブランクもあったため、藤井しか計算できる投手がいませんでした。そこで他の投手にも登板機会が与えられていたのですが、チャンスをいかすことができませんでした。4月24日の石川戦での15失点、5月2日の群馬戦での20失点、5日の信濃戦での17失点という大敗。さらに昨年の(引き分けをはさんで)10連敗を彷彿させる(引き分けをはさんで)8連敗を喫してしまったのです。

 そこで5月の連休明けからは藤井、岩井、高谷の3人を柱にまわしていくことを決めました。それが功を奏して、今シーズンは昨シーズンまでとは違った姿をファンの皆さんに見せることができたのです。

 私は投手陣に一番大事なのは素質よりも、まず度胸だと思っています。いくら素質の高い投手でも、実力を実戦のマウンドで出すことができなければ何にもなりません。そういう意味では今シーズン初めてリーグを経験した橋本渉(神港学園高)や石井賢吾(横浜高<中退>−横浜ベイブルース)には、2年目の来シーズンこそやってくれるだろうと期待しています。

 また、打撃面では周囲から「ホームランバッターが欲しい」という声があがっています。今シーズンはリーグ最少の17本に終わりました。しかし、チームには長打力のある選手がいないわけではありません。内田、慶家誠太朗(鯖江高−松阪大<中退>−福井ミリオンドリームズ)、小西健太(横浜隼人高−横浜商大)、山本祐士(横浜商大高)、そしてプレーイングコーチの織田一生(福井高−東北福祉大−TDK千曲川−TDK)などは本塁打を狙えるパンチ力は十分にあります。しかし、「必ずホームランにできる」というボールやコースを持っていないため、本塁打の確率が低いのです。

 加えて、織田などは今シーズンはチームバッティングに徹していたということもあります。ホームランバッターは「これだ」というボールが来れば、初球からどんどん振っていきます。しかし、ヒットに確実にできるボールが来るまで待っていたのです。「来シーズンはホームランを狙ってみます」と織田自身も宣言していましたので、チームトップの本塁打数をマークしている彼がどこまで伸ばしてくるか、楽しみにしたいと思います。

 さて、今シーズンは一つの実績を挙げることができました。だからこそ、これがマグレでないことを来シーズンは証明しなければいけません。そして今シーズン味わった喜びを、選手と共に、より一層大きくしたいと思っています。そのためにも今シーズン以上の勝利への執念と学ぼうという謙虚さをもって、チーム一丸となって優勝を目指したいと思います。

野田征稔(のだ・ゆきとし)プロフィール>:福井ミラクルエレファンツ監督
1941年12月5日、長崎県出身。PL学園高校、PL教団を経て1963年秋に阪神に入団。70年には88試合に出場し頭角を表し始めると、翌年よりセカンドのレギュラーとして定着。72年にはリーグ最多となる21個の犠打をマークした、75年に現役を引退。その後は阪神のマネジャー、二軍コーチ、フロント、二軍監督、スカウトを務めた。2008年、福井ミラクルエレファンツの野手コーチに就任。今季より監督としてチームの指揮を執っている。
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