話を松坂に戻そう。彼がメジャーリーグ移籍を球団に正式に訴えたのは04年オフの契約更改交渉の席。「早ければ早いほうがいい」という松坂に対し球団側は「基本的に出すつもりはない」と釘を刺したものの「周囲が認める成績を残せば本人の意志を尊重する」と含みも残した。FA権を取得するのに、松坂はまだ4年の年月を必要としていた。
 この頃、西武球団は激震に見舞われていた。グループの中核企業である西武鉄道による有価証券報告書の虚偽記載が発覚し、球団オーナーでもある堤義明コクド会長は経営の第一線から退いた。翌年3月には証券取引法違反容疑で逮捕された。
<この原稿は2007年1月号『月刊現代』に掲載されたものです>

 それを受けて、身売り話が持ち上がった時期もあったが、後藤高志西武鉄道社長は「ライオンズはグループのシンボル」と位置付け、継続保有を明言。松坂のメジャーリーグへのポスティング移籍については継続審議となった。
 推察するに、昨年オフの段階で球団は松坂が今季(06年)、一定の成績をクリアすればメジャーリーグへのポスティング移籍止むなしと考えていたのではないだろうか。08年になれば松坂はFA権を取得する。そうなれば球団には1円も入らない。これは困る。
 さりとて、チームのエースを、そう簡単に放出するわけにもいかない。それが原因でチームがガタガタになれば、ファンの批判は松坂放出に踏み切った球団首脳に向けられる。ポスティングにかけるとすればFA権取得前の06年オフか07年オフ、選択肢はこの2つのうちのどちらかだった。

 松坂を取り巻く状況が一変したのは、この3月に行われたWBCでの活躍である。優勝し、MVPに輝いたことで松坂株は急騰した。「売るなら、今季オフ」と球団首脳がポスティングにゴーサインを出したとすれば、その経営判断は批判される筋合いのものではない。
 加えて今季、松坂は25試合に登板し、17勝5敗、防御率2.13という非の打ちどころのない成績を残した。松坂は自らの手でチャンスを掴み、自らの力で“選手価値”を向上させたのだ。その対価が60億円という驚天動地の移籍金を生み出したと考えるべきだろう。

 感心するのは、松坂の持って生まれた、その強運ぶりである。横浜高時代はエースとして甲子園春夏連覇、夏の決勝ではノーヒット・ノーランを達成してみせた。長い歴史を誇る高校野球にあって、決勝でノーヒット・ノーランを達成したのは、1939年夏、下関商に5−0で勝って優勝した和歌山・海草中(現向陽高)の伝説のエース嶋清一投手以来2人目の快挙である。
 西武に入団してからも松坂の強運は続く。プロ入り2年目の2000年、シドニー五輪に出場。同期入団のライバル上原浩治は巨人・渡辺恒雄会長(当時オーナー)の「(IOC会長の)サマランチの金儲けに付き合えるか」のツルの一声でシドニー五輪出場の道は閉ざされた。
 晩節を汚しはしたものの、当時、堤オーナーはJOC名誉会長(04年に辞任)を務めていたこともあり、五輪参加には前向きだった。入る球団が違っていたら、松坂の野球人生は暗転していたかもしれない。
 その後もアテネ五輪で銅メダル、WBC優勝と、日本のエース級で野球の主だった国際大会にすべて出場したのは松坂だけである。実力はもちろん、ツキにも恵まれたから、これだけたて続けに大舞台のマウンドを踏むことができたのである。
 振り返れば、プロ野球選手が初めて五輪に出場したのは00年のシドニー五輪からだが、もう少し早く生まれていたら、五輪とは縁がなかったかもしれない。松坂は時代からも選ばれたのである。

 球団がポスティング移籍を認めてからの松坂の行動は素早かった。数多くの売り込みの中から、松坂は代理人に凄腕と評判のスコット・ボラス氏を迎え入れた。
 ボラス氏の名前が一躍、クローズアップされたのは、00年12月のことだ。シアトル・マリナーズをFA宣言したアレックス・ロドリゲス(現ヤンキース)の代理人として、テキサス・レンジャーズとの間で<10年総額2億5200万ドル(当時のレートで約295億円)>という大型契約をまとめ上げたのだ。

 辣腕ゆえに、この御仁には何かと批判も多い。
「ボラスはこの5月にこっそり来日し、松坂と“密会”したという情報もある。手回しはいいが、ドラキュラのようにビジネスが冷酷だとの声もよく耳にする。
 今回、マリナーズやドジャースなど当初はポスティングに参加すると見られていた球団が入札を見送ったのはボラスが松坂の代理人になったことと無縁ではない。
 ボラスが代理人になれば、仮にポスティングで落札することができたとしても、年棒交渉でごっそり持っていかれる可能性が高い。さしものボラスでも、落札金の一部を西武球団からハネることはできない。
 代理人の取り分は、あくまでも選手の年棒から。通常5%だから、仮に松坂が4年60億円の契約を結べば、それだけで3億円がボラスの元に転がり込む。ボラスにとっては、おいしいビジネスだよ」(元メジャーリーグ球団フロントスタッフ)

 メジャーリーグで1球も投げたことのないピッチャーに、これだけの値が付くのは初めてのことだ。レッドソックスがマネーゲームの主役を演じた背景には、当然、ライバルであるヤンキースへの対抗意識があったと見られている。

 ヤンキースの第一期黄金時代を築き上げたベーブ・ルースも元はといえばレッドソックスの選手。当時、経営難に喘いでいたレッドソックスは12万5000ドルのトレードマネーと負債の肩代わりを条件にルースを放出した。これ以降、両チームの立場は逆転し、レッドソックスは86年間もワールドチャンピオンの座から見放されることになる。
 これが世にいう“バンビーノ(ルースの愛称)の呪い”だ。04年、アメリカン・リーグのチャンピオンシップでヤンキース相手に3連敗から4連勝し、その余勢をかってワールドシリーズでセントルイス・カージナルスをねじ伏せて86年ぶり6度目のワールドチャンピオンの座に就いたものの、レッドソックスファンのヤンキースへの対抗意識はいささかも衰えていない。日本の野球にたとえていえば巨人(ヤンキース)と阪神(レッドソックス)のような間柄だ。

 今季、レッドソックスは86勝76敗でア・リーグ東地区の3位に終わり、4年ぶりにポストシーズン進出を逃した。地区優勝を果たしたヤンキースには実に11ゲームの大差を付けられた。
 焦眉の急は投手陣の整備だ。チーム防御率4.83はア・ナ両リーグ通じて26位。今季、16勝(11敗)をあげ、チームの勝ち頭となったジョシュ・ベケットこそ26歳と若いが、通算207勝の剛腕カート・シリング、ナックルボールのティム・ウェイクフィールドはともに40歳で、さらなる上積みは望めない。ローテーションの核となり得る即戦力投手は、レッドソックスにとって喉から手が出るほど欲しい“物件”だったのだ。
 日本で最高のピッチャーをヤンキースに取られるくらいなら、少々、出費がかさんでもフェンウェイパークに呼びたい――レッドソックスのフロントがそう判断したであろうことは想像に難くない。レッドソックス・フロントの執念は5111万1111ドル11セントという落札額にはっきりと込められている。
◎バックナンバーはこちらから