サイ・ヤング――メジャーリーグ最高の投手に贈られる賞に名を刻む、前人未到の511勝投手こそ、実はレッドソックスの偉大なるOBなのだ。
 サイ・ヤングがアメリカン・リーグの創設にともない、セントルイス・カージナルスの前身セントルイス・パーフェクトズからボストン・レッドソックスの前身ボストン・アメリカンズに移籍したのが1901年。そのときの3000万ドルというトレードマネーは、当時としては破格の金額だった。何やら今回の松坂のケースを彷彿とさせる。
<この原稿は2007年1月号『月刊現代』に掲載されたものです>

 記録を調べてみて驚いた。サイ・ヤングは30勝以上の勝ち星を5回、20勝以上の勝ち星を11回も記録しているのである。03年、ボストンは初のワールドシリーズをピッツバーグ・パイレーツと争う。このとき2勝をあげたのがサイ・ヤングであった。
 サイ・ヤングは結局、ボストンに8年間在籍して、192勝(112敗)をあげている。その偉業を称えるために56年にサイ・ヤング賞が設けられたが、レッドソックスからはロジャー・クレメンス(3度)、ペドロ・マルチネス(2度)、ジム・ロンボーグが選出されている。

 ちなみに日本人選手で、これまでレッドソックスに在籍したことがあるのは野茂英雄と大家友和(現ブリュワーズ)の2人。01年に1年間だけ在籍した野茂は13勝10敗という好成績を残し、4月4日には自身2度目のノーヒット・ノーランを達成している。
 この野茂の渡米時の雄姿に、中学生だった松坂が強く憧れたというのも何かの縁だろう。そう言えば、全盛期の野茂が一番、獲りたがっていたタイトルが、このサイ・ヤング賞だった。もちろん、日本人でこの賞を獲得した選手は、これまで1人もいない。

 蛇足だが、ポスティングに敗れたヤンキースもレッドソックス同様、「勝者」だったと私は考える。松坂がピンストライプのユニフォームを着れば、松井秀喜とのマッチアップという日本人が最も喜ぶコンテンツは幻と化す。
 松坂が投げて松井が打つ。この対決見たさにフェンウェイパーク、ヤンキースタジアムに日本人が集まれば、収益も増える。ローカルテレビのライツホルダーとしてのメリットを享受することもできる。企業広告をはじめとするジャパンマネーの流入にも期待できる。そう考えると両球団はライバルであると同時に、最大のビジネスパートナーでもあるのだ。

 競争と協調――。メジャーリーグはこの2つの歯車が推進力となって拡大路線をひた走る。日本野球がのみ込まれるのは、もはや時間の問題なのかもしれない。
「日本の球界の将来を考えると(松坂のポスティング移籍は)素直には喜べない。一流が一流を育てるという意味では、日本野球のレベルは落ちていくな」
 海を渡る松坂へのエール一色の中、1人異彩を放つコメントを口にしたのが東北楽天イーグルスの野村克也監督である。
 野村監督の主張は一理ある。ポスティングによる流出が相次げば、日本のプロ野球はメジャーリーグの人材供給地に成り下がってしまう。言葉は悪いが“メジャーリーグの植民地”と化してしまう恐れがあるのだ。

 しかし、ではポスティング・システムを廃止すれば事は解決するのか。FA制度がある以上、球団がどう引き止めても出て行く選手は出て行く。ただ1年早いか、2年早いかの違いだけである。
「そこに山があるから」
 そう言ったのはイギリスの登山家ジョージ・マロリーだが、世界最高峰のリーグがあれば、そこで腕試しをしたいとなるのはアスリートの本能である。しかも報酬がいいとなれば、もはや引き止める手立てはない。

 むしろ日本のプロ野球界がいまやるべきことは人材資源の開発である。鎖国がとるべき現実的な道でないなら、残された道は開国である。具体的に言おう。外国人枠の対象からアジアの選手をはずすべきである。
 そうでもしないことには日本野球の水準を維持することは難しく、またアジアに向けて商圏を拡大するという点からも規制緩和は欠かせない。
 そこで注目されるのが西武球団の60億円の使途である。太田社長は「選手補強とファンのために使うつもりだ」と語っている。答案用紙に書き込む答えとして正解なのだろうが、もう一歩踏み込んでほしい。私がフロントの人間なら人材資源の宝庫である中国や極東ロシアに育成チームをつくり、指導者を送り込むスキームを練る。すなわち人材発掘のための先行投資だ。守りの経営から攻めの経営へ――。松坂マネーを野球の未来のためにどう役立てるか。そこにも目を光らせておきたい。
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