オーストラリアに次いで2回目の投票で落選したというのに、この列島が悲鳴に包まれることはなかった。
「あぁ、やっぱりダメだったの」
「今回は最初から無理だと思っていたよ」
 翌朝の周囲の反応は概ね、こんなもの。
 中には、こういう人も。
「えぇ!? 日本がワールドカップに立候補しているなんて知らなかった」

 周知のように、さる12月2日(現地時間)、国際サッカー連盟(FIFA)は本部のチューリッヒで理事会を開き、2018年W杯開催地をロシアに、22年W杯開催地をカタールに決めた。
 下馬評では18年はイングランド、22年は米国が有力とされていただけに驚きの結果となった。
 日本は22年大会に立候補していたが、同じく立候補していた韓国よりも先に落選した。
 最大の敗因は“too early”――これに尽きる。
 日本は韓国との共同開催だったとはいえ2002年にW杯を開催している。
「その20年後にまた開催しなければならない理由は何か?」
 この質問に対する説得力ある答えを持ち合わせてはいなかった。
 その意味では負けるべくして負けたといえる。
 2010年の南アフリカ大会がアフリカ初なら、2018年のロシアは東欧初、2022年のカタールは中東初だ。
 FIFAは初モノが好きだ。というよりマーケットの拡大に熱心だ。

 日本サッカー協会は2034年大会の開催に興味を示している。
 それが証拠に小倉純二会長は「今回は2大会同時に決めることになったけれど、わたしの読みでは今後は8年前に決められるのではないかと思います。となれば34年開催地については2026年。そうすると、2020年頃から活動を始めることになる。そのために、今から協会のあり方、スタジアムのあり方などを長期的に考えていく必要があります」と語っている。
 果たして2034年に日本はリベンジできるのか。経済成長を続ける中国やインドが本腰を入れて招致に乗り出した場合、日本は勝てるのか。とても楽観視はできないというのが私の見解だ。

 話を2018年と22年に戻そう。ロシアはともかく、果たして6月、昼間の気温が40度を上回ることも珍しくないといわれるカタールで選手たちはベストに近いパフォーマンスを披露できるのか。
 カタールは冷房装置のついたスタジアムの建設を計画しているが、キャンプ地にまでそうした設備を張り巡らせることは不可能だろう。
 欧州サッカー連盟会長のミシェル・プラティニは「中東は1月の方が6月よりもサッカーに向いている」と語っている。逆にいえば、6月開催は選手に多大な不利益を与えるということだ。
 ある日本サッカー協会の幹部は言う。
「カタールに決まった以上は成功してほしい。しかし欧州で活躍する何人かのトッププレーヤーは猛暑を嫌ってボイコットするのではないか。選手に圧力をかけることはできないが、選手派遣に難色を示すクラブも出てくるでしょう。現時点でカタールでW杯が行われている未来図は想像できない」

 カタールでの開催は中東初であると同時にイスラム世界初でもある。
 イスラムの戒律の厳しさは読者も先刻、承知だろう。
 在カタール日本国大使館の手引きには、こうある。
<女性はなるべく肌を露出する服、体型がはっきり現れる服などを避けることが望ましく、男性も半ズボン、ランニングなどを避けるようにします。>
<飲酒、酒類の製造、販売、国外からの持ち込みは禁止されています。賭博はイスラム教で禁止されています。>
 イスラムの戒律を守っての観戦は、何とも肩の凝ったものになりそうだ。
 まさか、こんな不届き者はいないだろうが、念のため付け足しておく。
<麻薬と銃器の持ち込みは厳禁です。特に麻薬の密売等に関しては死刑、終身刑を含む厳罰が科されます。>

 カタールと聞けば、日本人が真っ先に思い出すのは“ドーハの悲劇”だ。ロスタイムでイラクに同点にされ、米国行きを逸した因縁の場所だ。
 あれは1993年10月28日。季節で言えば秋なのに、後半、日本の選手たちは足が止まっていた。今度は大丈夫か。今から12年後のことを心配しても仕方ないが……。

<この原稿は2011年1月7、14日付『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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