山武司(東北楽天)は、史上3人目となるセ・パ両リーグで本塁打王を獲得した日本を代表する長距離砲だ。中日、オリックス、楽天と3球団にわたって積み上げてきた通算本塁打数は実に391。42歳となった現在も主力として活躍を続けている。そんな輝かしい実績を持つ山だが、オリックス時代の2004年オフには自由契約となる屈辱を味わっている。引退をも覚悟した彼を拾ったのは、翌年からプロ野球に新規参入することが決定していた楽天だった。そこで2人の指導者と出会い、打撃開眼した山は、07年に本塁打王、打点王の二冠王を獲得し、見事にホームランバッターとしての復活を遂げた。
 40歳を超えてなお進化を続ける山。その復活劇の裏側を、07年の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2007年8月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 たとえるなら休火山が突然、噴火したようなものだろう。
 プロ野球の年間最多本塁打記録は64年に王貞治(巨人)、01年にタフィ・ローズ(近鉄)、アレックス・カブレラ(西武)がマークした55本である。
 70試合で28本塁打(7月2日現在)。日本記録ペースでホームランを量産しているのが楽天の山武司である。
 目下、パ・リーグにおけるホームランと打点の2冠王。山は中日時代の96年に39本塁打でホームラン王に輝いており、両リーグでの戴冠となれば落合博満(ロッテ、中日)ローズ(近鉄、巨人)以来、史上3人目の快挙だ。

 それにしても38歳の、これほどまでの大爆発を誰が予想し得ただろう。
 山は04年のオフにオリックスを自由契約となり、新規参入の楽天に「拾われた」。ここで山は運命的な出会いを果たす。
 前監督の田尾安志だ。
 山の顔を見るなり、田尾はこう言った。
「今のままじゃ、もう打てないぞ」
 山は典型的なプルヒッターだった。ポイントは常に前に置き、詰まることを良しとしない。
 しかし、歳とともにヘッドスピードが鈍り、ボールをとらえ切れなくなっていた。
「これからは後ろ足に重心を残して打て」
 頭では理解できてもプライドが邪魔をした。
「この打ち方だと、どうしてもはじめは詰まるんです。詰まると不安で不安で仕方がない。これでいいのかって……」
 結果が出始めたのは移籍1年目の6月。これまではレフトスタンド専門だったホームランがライトスタンドにも入り始めた。粘り強く取り組んだ打法改造が、やっと実を結んだのである。

 振り返って山は語る。
「楽天に来た時、田尾さんとバッティングに関して随分、話し合いました。これまで僕は後ろ足に重心を残すバッティング理論がいいとは思っていなかった。どちらかというと、来たボールをドーンと打つ感じ。だから変化球に対応できなかった。
 しかも歳をとればヘッドスピードの初速が鈍ってくる。これまでは“とらえた!”と思ったボールがとらえ切れないんです。
 でも20年近くやってきた打法を変えるには勇気がいる。詰まると、どうしてもボールを前でとらえたくなるんです。
 でも、その都度田尾さんから“オマエ、何やってるんだ!”と叱られました。“練習では詰まれ”とも。これがよかった。詰まりながらでも、反対方向に打球を運べばいいんです。このコツを掴むまでには随分、時間がかかりました」
 楽天移籍1年目、383打数で25本塁打をマークした。徐々にではあるが、復活の手応えを感じ始めていた。

 翌06年、田尾にかわって野村克也が新監督に就任した。野村との出会いも、山にとっては幸運だった。
「考えて、野球をやれ!」
 指揮官となった野村の第一声がそれだった。「考える野球」とは何か。最初は選手全員が戸惑った。野村の意図を理解しかねる者もいた。
 ベンチの中で、山は野村の“ボヤキ”に聞き耳を立てた。耳にする言葉は、どれもハッとするものばかりだった。
「やはり監督はキャッチャーのリードが一番気になるようなんです。“このキャッチャーは、こういう傾向をするな”。ボソッと言うと、本当にその通りになるんです。僕らとは見るポントが違うんですね。常に選手を観察している。“考える野球”の原点に触れたような気がしました」

 野村というと“ID野球”が代名詞だが、ともするとデータにがんじがらめの退屈な野球を我々は連想してしまう。山も最初はそう思っていた。しかし、「そのイメージは完全に払拭されました」と苦笑いを浮かべて言う。
「たとえば僕が1回もバットを振らずに三球三振に倒れたとする。でも、“全部真っすぐを待っていたんだけど、3球ともカーブが来た”というきちんとした理由があれば監督は怒らないんです。要するに失敗の根拠さえ、はっきりしていればいいんです。それは次につながりますから。監督も“(読みがはずれて)ダメだったら帰ってこい。次頑張れ!”と励ましてくれますよ。
 逆に、運よくヒットが出ても、それが偶然の産物だったら、監督は喜びません。それはたまたまであり、次につながらないからです。
 監督は僕たちに“根拠”という言葉をよく口にします。“そのプレーはどうなんだ?”と聞かれたとき、バンバンと返せる言葉があれば、監督は怒りません。根拠さえしっかりしていれば。だから僕らベテランはやりやすいですよ。ああしろ、こうしろと強制されることがありませんから……」

 チームは目下、31勝39敗2分けの戦績でパ・リーグの5位。今後の追い上げいかんによってはクライマックスシリーズ出場も不可能ではない。
「仙台のファンは負けても、すごく応援してくれるんです。本当にやさしい。1年目、2年目なんて、ほとんど勝てなかったのに、何も言われなかった。“なんて文句言わないの?”と僕が心配になったくらい。名古屋だったら“カス、ボケ、死んじまえ!”ですから(笑)。
 だからこそ、ひとつでも多く勝って仙台のファンと喜びを分かち合いたい。いずれにしても僕の長い野球人生の中で、これだけ1勝の重みを感じたことはなかった。まだまだ(クライマックスシリーズ出場は)諦めちゃいませんよ」
 中日時代の背番号は「22」。オリックスで「5」。楽天では「7」を付けている。
 泣かせるエピソードがある。
「娘の名前が菜々なんです。僕は仙台で単身赴任。なかなか名古屋に帰れない。だから“菜々の名前を背負ってパパは頑張ってるんだよ”との思いがあるんです」
 丸太のような腕をした男は、そう言って照れたように笑った。
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