指導者には2つの資質が必要である。
 ひとつが「心理学者」で、もうひとつが「役者」である。
 サッカーを例にとると、かつてヴェルディやグランパスで指揮を執り、現在はレイソルの監督を務めるネルシーニョがその典型だ。

 これまでいろいろな選手に「最高の監督は?」と質問したが、圧倒的に多かったのが、「ネルシーニョ」という声だった。それもラモス瑠偉や都並敏史といった、いわゆるウルサ型の選手が口にしたのだから、指揮官としての実力がしのばれよう。

 以下は都並から聞いた話。
 ある試合でチームメイトの柱谷哲二とビスマルクがケンカをし始めた。「オレの指示に従わないのか」と怒った柱谷が、あろうことかビスマルクに頭突きを入れてしまったのだ。
 もちろんビスマルクも黙っちゃいない。何やら叫びながら掴みかかった。
「やめろ、やめろ、ケンカなんかしている場合かよ!」
 都並が止めに入ったものの、2人ともアツくなっていてブレーキがきかない。ハーフタイームでのロッカールームでも2人は激しくやり合った。

 ここで監督のネルシーニョは、どんな行動に出たか。
「オマエら何やっているんだ! 出ていくならさっさと2人とも荷物をまとめて出ていけ!」
 2人に向かってそう叫ぶなり、そばにあったテーブルをひっくり返してしまったというのだ。
 さらにネルシーニョは続けた。
「オマエらの顔なんか見たくもない。さっさと出ていけ!」
 理論派で鳴るネルシーニョは、これまで1度も選手たちに大声を発したことがなかった。それが、この時ばかりは赤鬼のような形相で仁王立ちしているのだ。
 恐れをなした柱谷とビスマルクは急に押し黙り、それを合図にまわりも水を打ったようにシーンと静まりかえった。
 頃合いを見計らってネルシーニョは言った。
「さぁ、皆、ここに集まろう。キミたちは何も心配することはない。2人のエネルギーを吸収して、それを全て相手にブツけるんだ」

 振り返って都並は語った。
「普通に指導者なら、選手たちがケンカを始めても無視するか、なだめるか、せいぜい“いい加減にしろよ!”というくらいのものでしょう。ところがネルシーニョは選手たちの“怒り”を“発狂”という手段で制したんです。自らがより強力な怒りのオーラを発することで2人を屈服させ、僕たちの気持ちをもう1度ひとつにまとめ上げてみせた。きっと彼の頭の中にはパニックも含め、あらゆる状況を想定した処方箋が用意されていたのでしょう」

 チームの危機に備えるのではなく、危機すら利用してしまう恐るべき統率術。1度は日本代表の指揮を執らせてみたい指揮官だ。

<この原稿は2006年5月号『大望』に掲載されたものを再構成したものです>

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