「一度ヒューンと外に飛んでいって途中でガンと内側に食い込んでくるんです」
 北海道日本ハムファイターズのサウスポー武田勝のスライダーを評して、目を丸くしながらそう語ったのは、巨人の坂本勇人である。今から3年前の話だ。まるで獲物に襲い掛かる猛禽のようなボールである。

 プロ入り5年目の昨シーズン、武田は自己最多の14勝(7敗)をあげた。伝家の宝刀がスライダーであることは言を俟(ま)たない。しかし、この伝家の宝刀がどれほどの威力を秘めたボールのなのか、当たり前の話だが、自らの目で確かめることはできない。そこで彼はバッティングピッチャーに駆り出された際、それとなく相対したバッターに聞いてみた。
 すると、こんな感想が返ってきた。武田いわく、
「曲がるまでは同じスピードなのに、曲がり始めてからが速い。要するに加速して食い込んでくるというんです」
 坂本が語ったとおりだ。右バッターは鋭く懐をえぐられる。左バッターにすれば外からさらに逃げていく。どちらからしても厄介なボールだ。

 では、この“平成の魔球”とも呼ぶべきボール、武田はいかにしてマスターしたのか。
 結論から先に言えば“ケガの功名”ということになる。
 武田の左腕は真っすぐ伸びない。ヒジが“くの字”に曲がったままなのだ。
「アマチュアの頃からヒジの故障を何度も繰り返しているうちに、欠けた骨がくっついてしまった。気がつくとヒジが曲がったまま固定されてしまった。
 これが僕には良かった。ヒジをロックしたまま腕が振れる状態になったことで、スライダーがコントロールよく、独特の変化をするようになった。
 幸い、ヒジに痛みはありません。病院の先生にも“今、一番いい状態なので変に手術しないほうがいい”と言われています」
 人間、何が幸いするか分からないものだ。故障によるヒジの変形が原因で猛禽のようなスライダーを得ることができたのである。
「ヒジが曲がったままなので腕立て伏せをやるのもバランスが悪い。でも今では、この曲がったヒジを僕の財産だと思うようにしています」

 武田の武器はスライダーだけではない。キレのいいシュートも打者を惑わせる。
「ここでも曲がったヒジを利用します。真っすぐの握りでわざと手首を寝かすだけでボールは勝手にシュートしてくれる。ひねらなくてもいいんです」
 そう言いながら、武田はボールの握り方まで披露してくれた。真似しようにも、誰にも真似することのできないボール。まさに一代限りの“魔球”である。

 そんな武田には忘れられない一言がある。
「オマエのピッチングはつまらん!」
 面と向かって、そう言われた。言葉の主は元東北楽天監督の野村克也だ。
 社会人野球のシダックスに入って3年目、球界きっての知将が監督に就任した。
「オマエには武器がない。もっと工夫しろ!」
 言葉は辛辣だが、素直に納得ができた。
「野村さんと出会うまでは野球に対して深く考えたことはなかった。ただキャッチャーが出したサインにうなずくだけ。1球の持つ意味なんて考えたこともなかった。
 それが野村さんの影響で1球1球について真剣に考えるようになった。カウントだって12種類ある。このカウントでは打者はどんな心理状態でボールを待っているか。それを教えてくれたのが野村さんです。
 その頃、僕はプロ野球を諦めかけていた。でも野村さんは“プロに行くのに年齢は関係ない”と。失いかけていた向上心に、もう一度火を付けてくれたのも野村さんです」

 野村とともに武田の野球人生に大きな影響を与えたのが、V9巨人を支えたサウスポー高橋一三である。シダックス1年目の冬、高橋が臨時コーチとしてやってきた。
 高橋から指導を受けるまでの武田はストレートとカーブだけの何の変哲もないピッチャーだった。ボールは上から投げていた。さりとて140キロ台のストレートがあるわけではない。
 高橋はフォーム改造の第一歩として武田にアンダースローでのピッチングを命じた。
「キミの体の使い方は腰が横回転なのに無理して上から投げている。だからバランスが悪いんだ」
 それにしても、なぜアンダースローなのか。
「下から徐々に腕を上げていき、一番合っているところを探せという意味だったんです」
 そうしてできあがったのが今のスリークォーター気味のフォームである。
「野球に対する“頭”を教わったのが野村さん、ピッチングフォームを教わったのが高橋さん。僕にとっては大変な恩人です」

 細身で物腰も柔らかい。パッと見ただけでは野球選手と思われないのではないか。
「街を歩いていても私服だと、まずプロ野球選手には思われないですね。だから気持ちも楽ですよ」
 シダックス時代は机の前のパソコンでカラオケ店の店員や会員の情報を入力していた。どこにでもいそうな32歳がマウンドに上がると豹変する。まるで映画の『スーパーマン』を彷彿とさせる。

 今季からプロ野球の公式球は「低反発球」に統一される。縫い目のヤマが低く、表皮が滑りやすいと言われる。これは武田のピッチングに、どんな影響をもたらせるのか。
「スライダーの曲がり幅はこれまでよりも大きいという気がします。右バッターに対しては食い込みの幅が大きいので、明らかにバッターの反応が去年までとは違っていますね。これをどうピッチングにいかすか……」
 自慢のスライダーはUFOのようにスッと軌道を変える。この進化する魔球を武器に武田は更なるレベルアップを誓う。
 どこにでもいそうな青年が操る、世界のどこにもないボール。変則のサウスポーが繰り広げる外連(けれん)の投球ショーへ、ようこそ。

<この原稿は2011年4月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

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