2011年6月17日、スポーツ基本法が参議院本会議で成立しました。これまで日本のスポーツ政策の拠りどころとなっていたスポーツ振興法が制定されたのが1961年6月16日。ちょうど50年の時を経て、日本スポーツ界の新たな一歩を踏み出す機会に携われたことには感慨深いものがあります。
 今回のスポーツ基本法では「スポーツに関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務」が国にあることが明記されました。また「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利」とあるように、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「体育およびスポーツに関する国際憲章」で定めている「スポーツ権」が保障されています。そして、スポーツが体育とイコールではなく、国際交流や経済発展、地域の活性化などにもつながる大きな概念であることが明確になりました。

 この基本法では各地域で身近にスポーツに親しむことができるようにすることを基本理念のひとつとして定めています。そのためには現在、各地で立ち上がっている総合型地域スポーツクラブをより拡充し、発展させていくことが必要です。僕がドイツでサッカー留学をしていた時には、町の小さなクラブにもかかわらず、陸上のトップアスリートが練習拠点にしていました。まだ日本では練習施設の関係で、トップアスリートは都市部でトレーニングをすることが多く、地域スポーツとは一体化していません。

 この分断を解消するためのひとつの方策がトップスポーツと地域スポーツの「好循環」の創出です。昨年、文部科学省が発表したスポーツ立国戦略では、5つの重点戦略のひとつに、この好循環の創出が掲げられています。具体的な目標としては「広域市町村圏(全国300箇所程度)を目安として、拠点となる総合型クラブ(「拠点クラブ」)に引退後のトップアスリートなどの優れた指導者を配置する」と定められました。

 この立国戦略を踏まえ、今年度の文科省の予算にはスポーツコミュニティの形成促進としてトップアスリートの巡回指導や、地域のアスリートスタッフによる学校体育の支援などに5億7000万円が計上されています。子どもたちがスポーツに取り組むにあたって、お手本となるアスリートとの出会いは非常に大切です。
 僕は小学校の頃、セルジオ越後さんが松山で開いてくれたサッカー教室に参加した経験があります。その時、セルジオさんが見せてくれたプロのテクニックには本当に驚かされました。僕もあんなプレーをしてみたい。その気持ちを持ち続けて、中学、高校、大学とボールを蹴り続け、最後はJリーガーになることができました。セルジオさんと出会わなければ、ここまでサッカーを続けていなかったかもしれません。

 そして僕自身も25歳の頃から、セルジオさんを見習い、愛媛のあちこちでサッカー教室を開催してきました。僕はJリーグでのプレー経験があるとはいえ、日本代表入りしたようなトップアスリートではありません。それでも子どもたちにオーバーヘッドでシュートを見せると、目を輝かせて喜んでくれます。このように地域のローカルアスリートであっても、スポーツの楽しさを伝えることは充分可能です。好循環の創出は単にトップアスリートと地域スポーツの連携のみならず、ローカルアスリートが地域に根付き、スポーツをライフワークとして続けられることにもつながります。スポーツ基本法の制定で、よりこの流れが加速するよう、僕自身も働きかけていくつもりです。

 スポーツ政策では一歩を踏み出した政界ですが、肝心の震災復興では動きが停滞しているのが実情です。その最大の原因は残念ながら菅直人総理大臣にあると言わざるを得ません。6月2日の党代議士会で総理は「東日本大震災の対応に一定のメドがついた段階で、若い世代のみなさんに責任を引き継いでいきたい」と事実上の退陣表明を行いました。しかし、その後、2011年度の2次補正予算案や再生エネルギー特別措置法案の成立を目指すなど新たな方針を打ち出し、総理の座にしがみついているように映ります。

 総理は自らがこれらの課題に取り組まなければ、政治が前に進まないとの考えなのでしょう。しかし、客観的に見れば、それは全くの逆です。震災対策の2次補正予算や再生エネルギーに関しては、さほど各党に方向性のズレがなく、菅総理がリーダーシップを執る必要性はほとんどありません。むしろ、もう国内外で「辞める」と思われているリーダーが一生懸命ボールを持ったところで、誰も一緒にゴールを目指そうとはしないでしょう。現にあの発言から1カ月、復興基本法は通ったものの、その他の分野では政治が動かなくなっています。

 被災地や原発事故で大変な思いをしている方には、「一定のメド」などと悠長なことを言っている暇はありません。政権与党の一員として、国会が「総理がいつ辞めるのか」といった話がメインになっていることは非常に恥ずかしく、申し訳ないの一言です。菅総理には「一定のメド」ではなく、明確なリミットを区切って復興対策を進め、新体制にバトンタッチすることを強く訴えたいものです。

 前回も紹介したように今回のスポーツ基本法は超党派のスポーツ議員連盟でつくられました。法案作成の過程では元選手や各競技団体、学者など多くの関係者からヒアリングを実施しています。議論の際には、文科省のみならず、障害者スポーツを管轄する厚生労働省の担当者なども交え、省庁の枠を超えたつながりもできてきました。本当に多くのパスがつながって、この法案をゴールに運べたことを本当にうれしく思います。

 基本法と呼応してか、現場レベルでもスポーツ振興や社会貢献活動を推進する「日本アスリート会議」が立ち上がるなど、日本のスポーツは新しい時代に入りつつあります。
「スポーツには世界を変える力があります。人々を鼓舞し、団結させる力があります。人種の壁を取り除くことにかけては政府もかないません」
 これはアパルトヘイトを撤廃する過程での南アフリカラグビー代表チームの奮闘を描いた映画『インビクタス』の中に出てくるネルソン・マンデラ氏の言葉です。国会内でうまくつながったパスを、スポーツ界全体に広げ、スポーツで日本を、そして世界を変える。そのために、これからも僕は走り続けます。

 最後に改めて、法案成立に尽力していただいた全ての方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました! そして、これからもともに頑張りましょう!

友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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