現在、ニュージーランドではラグビーW杯が開催されています。僕も「ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟」の一員として、開幕戦と日本の初戦(対フランス)を観戦に現地へ行ってきました。開幕のセレモニーは非常に感動的で、スタジアムが暗転する中、観客がそれぞれ持っている携帯電話のライトで星空を演出するような試みもあり、一体となってW杯を盛り上げようとするニュージーランド国民の気持ちが伝わってきました。
 今回、僕たちはただ試合を観るだけでなく、議連を中心に現地の日本人会の方々とチームを結成し、他国のチームとラグビーを楽しみました。まさに“もうひとつのW杯”です。サッカーは20年以上やってきていましたが、ラグビーを本格的にプレーするのは初めて。現地に到着するなり、まずは基本を教えてもらいながら練習をしました。

 対戦相手はフランスの議員チーム。まさにW杯本番の前哨戦です。しかし、ほぼぶっつけ本番の僕たちはなす術もなく、完敗……。相手には社会人のクラブチームでプレーしている選手もおり、ボールの扱いに一日の長がありました。僕がそうだったように、日本ではラグビーに日頃から親しむ機会が決して多くありません。ラグビーに対する文化の違いも感じた一戦となりました。

 それにしても楕円のボールは動きが不規則でコントロールするのは苦労しました。しかも特別ルールでキックが禁止だったため、サッカーで培った足元のテクニックも使えません(苦笑)。接触=ファウルというサッカーのクセが染み付いているせいか、ボディコンタクトにどうしてもプレーを止めてしまう点も慣れるまでに時間がかかりましたね。こちらも思い切ってタックルを仕掛けたものの、体格差もあり、相手はビクともしませんでした……。

 実際に試合をしてみるとラグビーは観る以上におもしろいスポーツであることを実感しました。試合後には交流会を実施し、記念品などを交換して親睦を深めるのもラグビーの良いところです。ラグビーの素晴らしさ、スポーツの素晴らしさを改めて理解したひとときになりました。

 それ以上にニュージーランドで感じたのは、充実したスポーツ施設です。僕たちが最初に練習をしたのは、住宅街の中にあるグラウンドでしたが、最新型の人工芝が敷き詰められ、クラブハウスやフィットネスクラブなども併設されていました。かつてはイギリスの植民地だったこともあるのでしょうか。その環境はヨーロッパ型に近いものがありました。

 また、僕たちが最後に現地のクラブチームと親善試合をした会場では、なんとラグビーコートが10面! 川のほとりでヨットハーバーもあり、クラブハウスでは軽食をつまんだり、ビールも飲めます。コートの脇では子どもたちが遊ぶなど、本当に老若男女が楽しめる場所になっていました。さらに別のコートでは知的障害者がラグビーをしており、障害者スポーツにも熱心であることが伺えました。

 8年後には日本にラグビーW杯がやってきます。W杯を成功するためには日本代表の活躍のみならず、よりラグビーを身近な存在にすることが大切です。そのためには芝生のグラウンドなどのハード面の整備はもとより、実際にラグビーを体験するソフト面の充実も必要でしょう。とはいえ、日々の仕事や学校が忙しければ、新しいスポーツに親しむ時間もなかなかとれません。突き詰めていけば、国内のライフスタイル自体を見直すところにも踏み込んでいくことになるのでしょう。

 ここまでくると単に一競技団体の力では難しいレベルの問題になってきます。その意味でもスポーツ全体を統括し、働きかけのできる組織はやはり不可欠です。スポーツ基本法の成立を踏まえ、文部科学省ではスポーツ庁の創設の検討を始めました。来年度予算案には、設置に向けた調査費が盛り込まれる予定です。

 スポーツ庁ができれば、国際大会の招致、運営についても、それぞれが培った人脈やノウハウを活用する横の連係がとれます。ハード、ソフト両面の充実も、各競技がバラバラに取り組むのではなく、より包括的にできるはずです。今回、民主党から政府に要望した来年度予算に対する重点項目のひとつにスポーツが含まれています。今年度の文科省のスポーツ関連予算は過去最高の228億円でしたが、来年度はさらなる上積みが期待できそうです。

 2019年、ラグビーW杯が盛り上がり、スポーツで日本がもっと豊かな国になる。そんな未来を現実にすべく、今回のニュージーランドの経験を今後の活動に生かしたいと考えています。スポーツ分野の他にも、このほど民主党の国土交通コアメンバー会議のひとりに選ばれ、政策立案に携わることになりました。初めてのラグビーではトライを奪えませんでしたが、国会ではしっかりトライを決められるよう、スクラムを組んでボールを前に進めたいと思っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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