先日、「来島海峡大橋サイクリング大会」に参加してきました。当日は天候に恵まれ、絶好のサイクリング日和。今治から来島海峡大橋を渡り、大島に行って戻ってくる約25キロのファミリーコースを4時間30分ほどかけて走りました。途中、船に乗って渦を巻く潮流を間近で体験したり、道の駅でバーベキューに舌鼓を打ったりと楽しいひとときを過ごせました。
 自転車で走ると、日頃、自動車で通過する際には気づかないことがたくさん発見できます。何より、橋の上から見る瀬戸内の海と島々は美しいの一言。同行したスタッフも感動していました。8月の日経新聞では、おすすめのサイクリングコースとして、全国で1位にランキングされています。実際、この景色の中を自転車で走りたいと、わざわざ海外からやってくる観光客も増えているそうです。

 地元ではサイクリングのメッカとして、しまなみ海道を売り出そうと、さまざまな大会やイベントを企画しています。こういった試みが定着すれば、過疎に苦しむ島しょ部を振興することにつながります。スポーツを通じたまちおこしで皆さんが元気になれるよう、政治の分野からもバックアップしたいと強く感じました。

 このしまなみ海道は、観光スポットであると同時に本州と四国を結ぶ物流動脈のひとつです。そして周辺の島々で暮らす方々の生活道という側面も忘れてはなりません。ところが橋を通行するにあたって、自転車や原付バイクの利用者はそれぞれ50〜200円の料金を支払う必要があります。わずか200円といっても、住民のみなさんが毎日のように通行するとなると相当な出費が避けられません。以前、この問題を予算委員会で馬淵澄夫国土交通大臣(当時)に質したところ、前向きな答弁をもらうことができました。

 しかし、あれから1年、この問題は進展をみせていません。「高速道路の無料化」を掲げていたマニフェストの変更が行われたこともあり、ほぼ手付かずの状態です。27日の国土交通委員会では、改めて島民の負担軽減について政府の考えを質問しました。松原仁国土交通副大臣の答弁は「有識者会議での議論が充分されるようにしていきたい」というもの。単に机上の議論に終始せず、生活者の皆さんが実感できる政策になるよう、これからも粘り強く訴えていきたいと考えています。

 さて、野田佳彦首相が民主党の代表となり、党内の体制もいろいろと変化が生じています。僕も政府と党の“橋渡し役”を務めることになりました。そのひとつが国土交通コアメンバー会議のコアメンバーです。コアメンバー会議は菅直人前首相時代に誕生した組織で、各部門会議での意見を集約したり、交通整理をするなかで党としての方向性を打ち出しています。

 ここでの提言が政調役員会に諮られ、最終的に党の政策として政府にあげられます。今回、僕は前原誠司政調会長の補佐に就任し、この役員会にも出席することになりました。各分野で今、何が議題になっているのかを理解し、党の方針を決める。これは大変な作業ですが、同時にとてもやりがいのある仕事です。

 政策を立案するには、各地方自治体や団体などの意見をしっかり聞くことが大切なのは言うまでもありません。そこで党陳情要請対策本部のメンバーとして、主に四国ブロックを中心に窓口も務めています。先日も東日本大震災の被災地から避難されている方の受け入れ先に対する補助や、港湾整備といったさまざまな要望をいただきました。このなかから僕たちは各項目を仕分けし、優先順位をつけて実現へと動いていくことになります。

 このように多くの役職をいただいたおかげで、最近は午前中から夕方まで会議がずっと続く日も増えてきました。野田政権が発足して約2カ月、まだ完璧なかたちではないにせよ、衆参合わせて400人以上いる民主党国会議員が政策論議に打ち込める環境はできつつあるように感じます。

 20日からは臨時国会が始まりました。今国会は震災復興のための2011年度第3次補正予算案とその関連法案の早期成立が最大のテーマです。僕が携わっている国土交通部門でも津波対策や高台への公共施設移設など被災地の新たな街づくりには欠かせない施策がたくさん盛り込まれています。

 党内での活発な議論を、国会内で野党との協議につなげ、1日も早く被災地のみなさんに手を差し伸べられるよう、僕も働きかけていくつもりです。政権交代から2年、与党議員には国民の皆さんとの間で崩れてしまった“信頼の橋”をもう一度、架け直すことが求められています。その橋渡し役になれるよう、どんな向かい風にも負けず、これまで以上にスピードを上げて走っていきたいと思っています。

友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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