経験は強みにもなれば弱みにもなる。
 サッカー日本代表監督アルベルト・ザッケローニがイタリア・セリエAのウディネーゼの監督時代に「3−4−3」という画期的なシステムを取り入れて高い評価を得たのは、プロ選手としての経験がなかったからではないかと思う時がある。
 もし彼がセリエAでプレーするほどの選手だったら、自分が経験した範囲の中で最も有効なシステムを採用していただろう。
 ウディネーゼの躍進で一躍、脚光を浴びたザッケローニはビッグクラブのACミランに引き抜かれ、1998−99シーズン、このシステムを武器に熾烈なデッドヒートを制し、スクデットを獲得した。

 ザッケローニのキャリアを見ていて、真っ先に頭に浮かんだのがACミランやイタリア代表などで指揮を執ったアリゴ・サッキだ。
 サッキもプロ選手としてのキャリアがない。ザッケローニが小さなホテルの経営者なら、サッキは父親が経営するシューズメーカーの従業員だった。

 ACミランの監督時代、プレッシングとオフサイドトラップを戦術の基本においた「4−4−2」システムで一世を風靡したのは記憶に新しい。
 ミラン流のプレッシング・サッカーはJリーグ創設間もない頃の日本のサッカーにも影響を与え、元代表監督の加茂周はこれを基本戦術として採用した。

 サッキはザッケローニより7歳年長だが、後輩のサッカーをどう見ているのか。
 この9月に上梓された『監督ザッケローニの本質』(片野道郎+アントニオ・フィンコ)という本にサッキの感想が紹介されている。

「アルベルトはウディネーゼで、相手のFWが3人であっても3バックで戦うという大きな革新を生み出した。当時は3バックといっても実際にはSB2人を置いた5バックだった。
 彼は常にチームに明確なアイデンティティを与えようと試み、それに成功してきた。選手たちの動きを見れば彼の手が入っていることはすぐに分かった。
 例えば私は4バックを好んできたが、それはその方がスペースをカバーしやすいからだ。しかしシステムの数字はそれほど重要ではない。大事なのは守備の局面、攻撃の局面にそれぞれ何人が参加するかだ」

 イノベーションは大胆な試みから生まれる。サッキの「4−4−2」にしろザッケローニの「3−4−3」にしろ、最初は異端視されたものだが、結果が出ると誰も文句を言わなくなった。
 そればかりか、こっそり真似するチームまで現れる始末。サッカーの世界にも「特許」があれば、彼らは今頃、莫大な富を築いていたはずである。

 過日、ザックにインタビューする機会があった。彼は自らを「異端児」と見なしており、そのことについて訊くと、こう答えた。
「私は基本的に人と同じことをするのが好きではないんです。イタリアで監督になるための講習に参加していたときもそうです。ただ人がやっているのを真似するだけではなく、かたちを変えたり、工夫を加えたりしながら、自分に合ったものをつくり出していきました。
 もちろん、それは戦術についても言えます。よく“ザッケローニと言えば3−4−3”と判で押したように語る人がいますが、私は“システム先にありき”ではありません。システムというのは選手の能力や特徴を把握した上で構築されるべきものなのです。
 確かに3−4−3というシステムを試したのは私が最初です。しかし、どのチームにもこのスタイルで戦ったわけではありません。トップレベルの監督であるには、いくつものシステムを理解していなければなりません。
 ご存知のように、かつてサッカーにはリベロというポジションがありました。今、ありますか? このようにサッカーは日々進化しているのです」

 イタリアの名将は、この国のサッカーにどんな化学反応をもたらすか。これからもじっくりと観察したい。

<この原稿は2011年11月1日号『経済界』に掲載された原稿から抜粋、一部再構成したものです>
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