マルセル・フグ(スイス)が史上4人目となる連覇を果たし、樋口政幸が自身最高の総合2位、国内1位に輝いた「第31回大分国際車いすマラソン」。スタートから繰り広げられた2人の優勝争いは最後のトラック競技にまでもつれこみ、残り20メートルでフグが樋口を交わすというドラマティックな展開となった。しかし、今大会のハイライトはこれだけではなかった。彼らの後ろでは、ロンドンパラリンピックの出場権をかけた、もうひとつの戦いが行なわれていたのだ。副島正純、洞ノ上浩太、花岡伸和。いずれも有力候補の一角に入っていた選手たちだ。果たして残された2枚の切符は誰の手に……。そこにはいくつものドラマがあった。
(写真:最後まで激しい争いを繰り広げた副島<左>と洞ノ上)

 スタートから800メートル先に、左右に分かれていた選手たちが合流する地点がある。そこで左レーンから出走した副島、洞ノ上、花岡の3人は、右レーンから2人の選手が抜け出したのを確認した。すぐに2人を追ったのは副島だった。
「右レーンの選手が飛び出すのは、想定内でしたから、全く慌ててはいませんでした。必ず追いつけると思っていましたから」
一方、副島の後ろを走っていた洞ノ上は、「このままでいくことはないだろう」と予想していた。
「スタートでばらけることは予想していました。でも、持久力のある選手たちが先頭集団にはいなかったので、例年通り、緩やかな上り、下りがある弁天大橋の所で吸収できるだろうと思っていました」
そして副島、洞ノ上を前方に見ながら花岡もまた、「誰かが追いつけば、先頭の2人も牽制しあってスピードが落ち、自分たちと同じ集団に入るだろう」と考えていた。

 ところが、レースは3人の予想とは違う方向へと展開していった。悪天候にもかかわらず、先頭の2人は世界記録を上回るハイスピードで加速していく。それとは対照的に追って行った副島のスピードはなかなか上がらなかった。洞ノ上が集団になるだろうと考えていた弁天大橋を過ぎても、距離は詰まるどころか、広がっていくばかり。弁天大橋を下りながら、洞ノ上は「これは、マズイな」と思ったという。そこから第2集団を形成した副島、洞ノ上、花岡の3人の旅が始まった。

 勝敗を分けた勝負の瞬間

 主に副島、洞ノ上が引っ張っていくかたちで、3人でローテーションをしながら走って行った。ほとんどの距離を2人の後ろで走っていた花岡は、徐々に自らの体力が消耗していくのを感じていた。
「晴れていれば、後ろについていると、前のランナーが風よけになってくれて、体力が温存できるんです。でも、雨の日は後ろも大変なんですよ。風はよけられるものの、前のランナーから水しぶきがバンバン顔にあたってくる。そうすると、前方は見えないし、息をするのも大変なんです」
 中間地点となる久原折り返し点の手前、ちょうど25キロほどのところで、花岡は先頭に追いつく自信を失っていた。あとは「なんとかして国内3位には入りたい」という気持ちだけだった。

 その頃、洞ノ上と副島は同じことを考えていた。久原折り返し点で先頭の2人とは2分以上、距離にして1キロ以上の差があった。残りの距離を考え、洞ノ上と副島は頭を切り替えた。ロンドンパラリンピックへの切符は3枚。この時点で、先頭をいく樋口が得られることは確実だった。残るは2枚。それを第2集団の3人で争わなければならない。そこで洞ノ上は冷静に状況を分析し、戦略を練った。
「ここまで3人でローテーションしてきて、副島選手には余力が残っているなと感じていました。一方、花岡選手はほとんど前に出ずに、僕たちの後ろをついていく作戦をしてきた。そこで、まずは後ろにいる花岡選手を切ろうと思いました」

 30キロ過ぎの大野川大橋の上りにさしかかると、洞ノ上は一気にスピードを上げ、スパートをかけた。これにピタリとついてきたのが副島だった。
「僕自身も大野川大橋でアタックするつもりで準備をしていましたから、洞ノ上選手が仕掛けてもすぐに対応することができました」
 洞ノ上と副島はお互いにローテーションしながら、花岡との距離を広げていった。それに対して花岡は全くついていくことができなかった。みるみるうちに洞ノ上と副島の姿が小さくなっていった。

 残り5キロのところで、洞ノ上は後ろを振り返った。もう花岡の姿を確認することはできなかった。
「よし、これならたとえパンクしても追い越されることはまずないだろう」
そして、今度は副島との総合3位争いに頭を切り替えた。2人の勝負の行方は最後のトラック勝負へと持ち込まれた。
 まず先頭で競技場に入ったのは洞ノ上だった。そのすぐ後ろにピタリと副島がついてきていた。入ってすぐのストレートで、洞ノ上の目の前をハーフの部に参加した選手が走っていた。その選手をよけるようにして、洞ノ上は外側から抜こうとした。その瞬間、内側から副島が攻めてきた。
「しまった!」
 洞ノ上がそう思った時には、もう遅かった。すぐに副島の方へと寄っていったものの、カーブに入ると当然、内側を走る副島が有利だった。それでも、ほとんど差はなく、どちらが勝つか最後までわからないデッドヒートが繰り広げられた。

 結局、そのままわずかなリードを守り切った副島が総合3位、国内2位でゴール。1秒差で洞ノ上が入った。ゴールした瞬間、洞ノ上に悔しさがこみ上げてきた。しかし、少し経つと、それは安堵感へと変わっていった。
「やっぱり副島選手との勝負に負けてしまったわけですから、ゴールした時は悔しい思いでいっぱいでしたね。今考えると、なぜ内側からハーフの選手を抜こうとしなかったのか……。でも、あの時は自分が走っていた位置からは外側から抜いた方が最短だと思ったんですよね。そして次にスタートでフグ選手と樋口選手にやられたという悔しさもこみ上げてきました。でも、いつものように『もう一度、走りたい!』とは思いませんでした。やっぱり、選考レースということもあって無意識に緊張していたんでしょうね。最後は、パラリンピック出場権を獲得できたことへの安堵感へと変わっていきました」

 副島と洞ノ上が最後のストレートでデッドヒートを繰り広げている中、競技場には花岡が姿を現していた。大野川大橋でのスパートについていくことができず、残り10キロを一人旅した花岡だったが、最後まで集中力は切れていなかった。
「洞ノ上選手と副島選手にはかなり差をあけられましたが、決して諦めてはいませんでしたよ。2人も疲れていたんでしょうね、大野川大橋でのアタック後も、それほどスピードが上がらず、僕が少し近づくと、逃げるようにして、またスピードを上げるという感じでしたから。とにかく2人を追いかけようという気持ちで走り続けました」
 2人から遅れること約1分、花岡はフィニッシュを迎えた。

 ロンドンパラリンピックの出場が内定した副島と洞ノ上。「人生で最高の走りをしたい」と意気込みを語る副島に対し、洞ノ上は「これまでのように自分の前後に誰が走っているというのはもう関係ない。自分でペースをつくることが重要になる」と今大会における反省点を口にした。一方、惜しくも今回でのロンドンへの切符獲得には至らなかった花岡は、「ハーフ以降、苦しくなるというのは、明らかに走り込みが足りないということ」と課題を挙げた。その声に諦めた様子はない。最終選考は来年の6月。たとえマラソンで出場できなくとも、トラック競技での出場という可能性も残されているのだ。パラリンピック開幕まで約9カ月。3人の戦いはこれからが本番だ。

(斎藤寿子)

※「The Road to LONDON」はNPO法人STANDとの共同企画です。デッドヒートが繰り広げられた「大分国際車いすマラソン」の様子を描いたアスリートストーリー「42.195キロの舞台裏」とフォトギャラリーはこちらから!

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