日本相撲協会の人材不足が露呈したと言えるだろう。1月30日の役員改選により、北の湖親方(元横綱)が再び理事長に就任することが決まった。一度、その座を降りた理事長が復帰するのは協会史上初めてだ。北の湖理事長は現役時代、史上最年少(21歳2カ月)での横綱昇進を果たし、歴代4位の24度の優勝回数を誇るなど、力士としての実績は申し分ない。しかし、組織の長としての資質があったとは言い難いのが実情だ。前理事長時代の07年には力士暴行死事件が起き、責任を問われたが、自らリーダーシップをとることもなく、かといって職から退くこともなかった。角界では不祥事が相次ぎ、翌年、弟子の大麻問題が発覚。責任をとって辞任に追い込まれた。
 北の湖理事長の統治能力不足の一端を、07年の原稿で振り返り、再登板に物言いをつけたい。
<この原稿は2007年10月の『月刊現代』に掲載されたものです>

 そもそものことの発端は7月25日、フジテレビが夕方の「スーパーニュース」で報じたモンゴルで撮影された映像だった。
 腰椎の疲労骨折などで全治6週間と診断され、8月3日から始まる夏巡業の休場を公表していた横綱・朝青龍が、サッカー元日本代表の中田英寿氏らとあろうことか“草サッカー”に興じていたのだ。難しい角度からのヘディングシュートまで披露していた。

 お粗末だったのは師匠の高砂親方(元大関・朝潮)の対応だ。
「まさかモンゴルに帰っているとは思わなかった」
 弟子の行動を全く把握していなかったのだ。当初は北の湖理事長(元横綱)も「直接、(朝青龍から)話を聞いて確認しないと何も言えない」と呑気に構えていた。
 怒ったのは巡業の責任者である巡業部長の大島親方(元大関・旭国)だ。
「横綱から診断書が出た以上、出席してもらわなくて結構だ」
 副部長の高田川親方(元大関・前の山)も続いた。
「半永久的に(巡業参加をお断りする)、そのくらいの気持ちですよ」

 手許に正式な診断書の写しがある。四日市社会保険病院の医師が書いたものだ。
 それによると病名は?左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、?急性腰痛症、第5腰椎(椎弓)疲労骨折――。
 付記の欄にはこうある。
 上記により、左肘関節痛、左前腕から手にかけてのしびれ、脱力感、ならびに腰臀部痛、下肢のしびれ感を訴えます。よって約6週間程度の休養、加療を要します。
 額面どおりに解釈すれば、かなりの重症である。とてもサッカーができるような状態にあるとは思えない。これでは“仮病”と疑われても仕方があるまい。

 かつて横綱の前田山は本場所を休場中に、後楽園球場でサンフランシスコ・シールズ対巨人戦を観戦。フランク・オドール監督と握手をしているシーンが新聞に掲載され、その責任をとるかたちで引退に追い込まれている。過去の“量刑”を考えても、朝青龍への厳罰は避けられない情勢となった。
 いうまでもなく日本相撲協会は公益法人(財団法人)である。営利のみを追求しない公益事業や公益活動を行うことで、税制面の優遇措置を受けてきた。大相撲の地方巡業は単なるイベントではなく、公益法人の条件を満たすための大切な事業のひとつである。
 ところが今回は、あろうことか国技の顔ともいえる横綱が“仮病”を使って地方巡業をスッポかしたのだ。厳しい言い方をすれば「公益法人認定法」の精神を踏みにじる行為である。公人中の公人である横綱が公務をスッポかしたのだから、弁明の余地はあるまい。朝青龍に非があるのは明らかだ。

「巡業で横綱がいないっていうのは大変なことなんです。吉葉山なんて両足首ねんざして動けない状態なのに杖ついて巡業地にまで行った。もちろん土俵入りはできないので、そのときは土俵上であいさつだけして帰りました。
 北の富士は玉の海のかわりに土俵入りをやったことがある。当時は二班に分かれて巡業地を回っていた。玉の海が虫垂炎を起こし、帰らざるをえなくなった。それで代役として駆けつけて土俵入りだけ行ったんです。北の富士の土俵入りは雲竜型なんですが、雲竜型の綱を持ってきてなかったんで、玉の海の綱で不知火型の土俵入りをやったというエピソードも残っています。
 大相撲にとって地方巡業はそれくらい大切なもの。横綱には若い者に胸を貸して鍛えるという役目もありますからね。それを放棄してモンゴルでサッカーをやっていたことがわかったんですから、巡業部長だって勧進元だって怒りますよ」(相撲評論家・三宅充氏)

 8月1日、協会は緊急理事会を開き、朝青龍に「2場所の出場停止と4カ月の減俸(30%)、さらには九州場所千秋楽までの謹慎(自宅、稽古場、病院以外への外出禁止)」という処分を科すことを決定した。
 記者会見には理事である伊勢ノ海親方(元関脇・藤ノ川)と武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)が出席した。

内容は以下のとおり。

――処分にいたった理由は?
伊勢ノ海: 巡業を休むという診断書を出しながら、モンゴルでああいうボールを蹴っていたという軽率な行動をとり、横綱の地位としては大変なこと(をやってしまった)。模範となるべき横綱がそういう行動をとるということは処分に価するということです。

――処分内容についてはどのように決まったのか。
伊勢ノ海: いろんな意見が出たことは事実ですね。その中から理事長が、理事の意見を聞きながら、最終的に大勢を占めた意見を元に決断を下されたということです。

――モンゴル大使館から謝罪文も出た。そのあたりは考慮されたのか?
伊勢ノ海: モンゴルの親善というのを考えて、今回の処分を下したわけではありません。モンゴルの政府の要望ということでサッカーをしたようですが、その前に本人は病院行ってますんで、それで軽減ということになるのは、ちょっと違うかなと思います。

――今回の処分は過去のトラブルなども含まれているのか。
伊勢ノ海: 心情的にはそういうものも加わっているのかもしれないけどね。ただ、今回の騒動に対しての処分であることに間違いはない。

 関係者の話を総合すると当初、北の湖理事長は「出場停止1場所」程度のペナルティで、この一件の幕引きをはかる考えだったと思われる。ところが大島親方や高田川親方などの強硬派が毅然とした処分を求め、さらには「朝青龍を甘やかすな」との苦情電話や苦情メールが相撲協会に殺到したことで、朝青龍擁護派の北の湖理事長も厳罰やむなしの姿勢を明確にせざるをえなくなったとみられている。
 しかし、ここで協会側には思わぬ誤算が生じる。来日し、昔風に言えば“蟄居閉門”の処分を科された朝青龍が昔でいうノイローゼに陥ってしまったのだ。それを明かしたのは師匠の高砂親方だ。
「発言をコロコロと変わっているようだ。精神安定剤をのんでいるようで、そういう所見も出ている。落ち着きがなく、処分が重いか軽いか判断できないらしい。オレですら会えないんだ」
 高砂親方が弟子の朝青龍にようやく面会できたのは処分から5日後の8月6日のことだった。

――処分が出た後、初めて会った印象は?
高砂: 会ってみて、かなり憔悴している。ちょっとビックリした。まあ、平静は装っている感じはしたが……。ただ普段はしゃべる人間が、あまりしゃべらなかった。

――どんな会話を交わしたのか?
高砂: 本人というよりは、マネジャーとかとの会話だった。本人はあまりしゃべらなかった。『がんばろう』『がんばっていくしかない』と声をかけたら、うなずいていた。『参ったと言ったら負け。もう少し辛抱しろ』とは言った。ゲッソリした感じはなかった。モンゴルのおいっ子が来ていて、会話をしたり食事をしたりしてるみたいだ。

――モンゴルへの帰国の話は出たのか。
高砂: それはお互いに一切なかった。親御さんを呼ぶとか、奥さんを呼んだらという話もあるが、難しい状況だ。

――親方はまず騒動を謝罪する会見ありきと言っていたが。
高砂: 今日の状態をみたらしんどい。先に治療ありきというニュアンスは持った。甘いかもしれないが、俺が決断を下す立場なら下すが……。

 医師が往診するかたちで朝青龍は都内の自宅マンションで数度診察を受けた。最初に診察した平石貴久医師は「今まで診た中で一番悪い。両親いるモンゴルに帰してやったほうがいい。このまま日本で治療を続けても現役続行は無理かも。師匠にも帰国を要望したい」と語り、モンゴルへの帰国を勧めた。
 次に診察した本田昌毅医師は「神経衰弱および抑うつ状態。うつ病の一歩手前の状態です。このまま3日もすれば、うつ状態になることも考えられる。うつになったら3カ月は治療が必要」と語り、症状が深刻であることを強調した。
 3番目の医師は日本相撲協会が指定した精神科医の今坂康志氏と相撲診療所の吉田博之所長。今度は急性ストレス障害と診断された。
「テレビがついているけど音はないし、見ているような見ていないような。薄目を開けている状態だった。無表情でしたね。問いかけても返ってこない。付け人から様子を聞いたり外見から診断した」
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