ベースボールを題材にした数ある映画の中で、最も好きなのはケビン・コスナー主演の「さよならゲーム」である。ベテラン捕手と若手投手と妖艶な女性が織りなすスリリングでユーモラスな三角関係。舞台がマイナーリーグだけに、どこか切なく、ほろ苦く、人間臭い。メジャーリーグを扱った映画では、こうはいかない。
 私見だが、マイナーリーグを経験した選手の言葉には深みがある。苦労が人を成長させるのだろう。「まだメジャーリーグで1年やっただけなので大きいことは言えないが……」。そう前置きしながら細身のメジャーリーガーは、きっぱりと言い切った。「アメリカに“行けるから行く”のではなく“行きたいから行く”という気持ちを持って欲しい」
 発言の主はテキサス・レンジャーズのリリーバー建山義紀。この1月、とある会見でポスティングシステムについての感想を求められた際のものだ。建山の言葉は胸にストンと落ちた。

 周知のように昨季、建山はマイナーリーグから米国でのキャリアをスタートさせた。最初の所属チームはパシフィック・コーストリーグの3Aラウンドロック。メンフィスまではバス移動で12時間。4試合して、さらに10時間かけてアイオワに移動。眠ろうにも三段ベッドの幅は狭く、仰向けになると鼻のすぐ上に天井があった。「こうした経験のおかげでマイナーの選手が“この生活から早く抜け出したい”とか“2度とここには戻ってきたくなかった”という気持ちがよくわかりました」

 もう20年以上前の話だ。1Aの試合で奇妙なものを目にした。ひとりの選手の背中に新聞記事が“印刷”されてあったのだ。後で事情を聞くと、バスの中で仮眠をとろうと床に仰向けになった。白いユニホームが汚れると思い、新聞を床に敷いたところ活字を吸い上げてしまったのだ。見出し付きのユニホームはマイナーリーグの実情を、どんな解説よりも雄弁に、そして正確に物語っていた。

「僕のような人間がメジャーでやっていくには、与えられた仕事を確実にこなしていくしかない」と建山。昨季はメジャーで39試合に登板するなど、昇格後は馬車馬のように働いた。生き残るためなら連投も辞さない。荒れたマウンドで夢を紡ぐ日本人もテキサスにはいる。

<この原稿は12年2月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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