U-23日本代表が22日、ロンドン五輪アジア最終予選で同マレーシア代表戦に臨む。5日のシリア戦に敗れ、グループ2位に転落して自力で予選を1位で、五輪出場権を獲得する可能性は消えた。予選を1位で突破するにはマレーシア戦を含めた残る2試合で勝利、かつ大量得点が必要とされる状況だ。だが、日本は過去にも苦境を乗り越え、予選を勝ち抜いてきた。2004年、アテネ五輪出場を目指していた時は、敵地で原因不明の集団食中毒に見舞われた。当時の指揮官・山本昌邦は、いかにしてチームを五輪へと導いたのか。今回は最終予選後に行なった山本へのインタビューから、五輪出場に必要な要素を探る。
二宮: チームが集団下痢に見舞われたのは2004年3月4日、UAEラウンドでのUAE戦の前日のことでした。この時点で日本は1勝1分、勝ち点4。UAEは2連勝で勝ち点6。日本とUAEの間には勝ち点にして2の差があった。ここでUAEに負けてしまえば、いくら日本ラウンドが残っているとはいってもアテネ行きには赤信号が灯ってしまいます。とはいっても、無理に勝ちにいくのはもっと危険。“引き分けなら良しとする”という状況だったと思われますが……。
山本: そのとおりです。UAEは、2戦2勝と走っている状態ですから、これは大変なことになったぞと。といってそこで悩んでも仕方がない。点差を考えれば勝ち点差が2のままなら、日本ラウンドで勝負ができます。そのラインだけは最低限、確保したかった。
 そのためには、まず負けない(試合の)入り方をしようと。前半は0対0、いや0対1でも仕方がない。とにかく、しのげるだけしのごうと。後半に入ってからが本当の勝負だと。フレッシュな選手を投入して追いつく。あるいは勝ちにいく。それが作戦でした。

二宮: その作戦がズバリ的中しました。後半40分、平山相太に代わって後半から出場した高松大樹がこぼれ球を押し込んで先制、続く42分には田中達也が見事にミドルシュートを決め、終わってみれば2対0の完勝。アテネ行きの最大のハードルを越えた瞬間でした。試合後、感極まって泣いてらっしゃいましたね。
山本: ええ、つい感極まってしまって……。私がインタビューを受けているそばを、フラフラになった選手たちが通り過ぎていくんです。中にはそのままトイレに直行する選手もいる。この試合を迎えるにあたっては、相当、選手たちに厳しいことを言ったものですから、期待に応えてくれた選手たちへの感謝の思いでいっぱいでした。

二宮: ここで“集団下痢事件”について振り返ってもらいたいのですが、いったい原因は何だったんですか?
山本: それについては、まだ原因の究明ができていません。帰国後、選手たちの検査で大腸菌の種類までは特定することができたのですが、いったいどこからどのように入ったのかは……。

二宮: 水ですか、食べ物ですか?
山本: 水か食べ物か、はっきりしたことはわかりません。

二宮: 選手たちに症状が表れ始めたのはいつですか?
山本: 3月4日の午前中です。トレーニングをしているとき、「ちょっとお腹が……」という選手がパラパラと出てきた。全貌がわかったのはその後です。メディカルスタッフから報告が入って、これは大変なことになったと……。

二宮: アウェーにアクシデントはつきものといわれますが、まさか、ここまでの事態は予測していなかったのでは?
山本: 個人的には泣きたい気持ちでした。ここまで2年間、五輪のために準備をしてきて、いざ本番になってこれですからね。そりゃ“ツキがないなァ……”と多少は落ち込みましたよ。
 しかし、そこで選手たちに同情したところで何も始まらない。だから逆に選手たちには、「これは神様が与えた試練だ。オマエたちにアテネに出られる資格があるかどうかを神様が試しているんだ!」と言って発破をかけました。

二宮: 選手たちの反応はどうでしたか?
山本: 出発する前に最後のミーティングを行います。そこで再び、「日本に帰ってからではもう遅いんだ。この試合にオマエたちのサッカー人生がかかっているんだ!」と檄を飛ばしました。
 ミーティングはいつも窓もカーテンも閉め切って行います。精神を集中するためです。最後は部屋中が熱くなりました。まるで選手全員の闘志が燃えているようでした。

二宮: 体力面がダメだと、後はもう気力に期待するしかない。文字通り“命綱”ですよね。
山本: 本当に最後はそれだけでした。いいサッカーをしようなんて余裕はこれっぽっちもなかった。とにかく結果を出すだけだと。全員が作戦を忠実に守ってくれた。前半は飛ばさないこと。無駄な動きで体力を消耗してしまったら脱水状態に陥り、その時点でアウトですからね。萎えていく選手たちの気持ちをつなぎ止める意味でも、とにかく踏ん張れと。耐えていれば、後半、必ずチャンスは来ると……。

 情報管理を徹底

二宮: 個人的に感心したのは、集団下痢事件については、その情報がまったく漏れなかったことです。普通、どこかから漏れてくるものですが、一切、それがなかった。
山本: メディアの皆さんもUAE戦を見て、「なんでこんなに動けないんだろう」とびっくりしたんじゃないでしょうか。実はこの情報は、それこそ敵に知られたら大変なことになるので、メディアはもちろんのこと協会関係者にも、ほんの一部にしか知らせませんでした。報告したのは団長までです。この情報だけは絶対に外に出すなとスタッフにも徹底させました。

二宮: ところでご自身の体調は?
山本: 実は後になってそのことを聞かれました。「監督は大丈夫ですか?」と。「大丈夫です。まったく問題ありません」と、そのときは答えました。
 でも本当は僕自身、とてもきつかった。下痢に加えて熱もあったと思います。でも熱を測ると気力が萎えてしまいかねないので一切、測りませんでした。気力で耐えていました。指揮官として弱みを見せるわけにはいかないでしょう。

二宮: さてUAEに勝って迎えた日本ラウンドでの初戦のバーレーン戦、0対1で敗れ、ついに勝ち点7で日本、UAE、バーレーンの3つが並ぶという大混戦になりました。得失点差でかろうじて首位をキープしていたものの、もうひとつも負けられない状況に陥ってしまった。選手たちのコンディションはさらに悪化しているように感じられました。
山本: 帰国後コンディションを立て直すつもりでしたが、実際には逆でした。

二宮: きちんと検査をして菌を特定し、抗生物質も投与していたのでは?
山本: 悪い菌を外に出すまでには、薬を、3日間飲み続けなくてはなりません。そうしないと、菌は死なないそうです。ところが、菌は毒素を振りまきながら死んでいく。これが、人体には一番こたえる。なにしろ、体が弱ってしまって水分も吸収できないんですから……。

二宮: 埼玉でのバーレーン戦(3月14日)、メディアの一部からは「なぜFWの平山を使わないのか?」という声も出ました。彼の高さを利用するべきだったと。
山本: はっきり言いますと、とても使えるような状態ではなかった。できるなら下痢しているメンバーを全員、代えたかった。ほとんどの選手がそれくらい、ひどいコンディションだったんです。UAE戦では大丈夫だったのに、帰国してから発症した選手もいました。実は私もそうだったんです。

二宮: 日本ラウンドでの救世主といえばFWの大久保嘉人ですが、UAEに連れて行かなかった彼ならコンディションも万全です。日本での初戦・バーレーン戦に使ってみるという選択肢はなかったのですか?
山本: 幸い田中達也の調子が良かったものですから、バーレーン戦は彼でいこうと。大久保とはポジションもかぶりますから。それに大久保は、彼のプレースタイルからいって(警告の)カードをもらいやすい。もし(日本での)1戦目に(カードを)もらい、2戦目でまたもらってしまったら、3戦目のUAE戦に使えなくなる恐れがある。この時点では最終戦でUAEと雌雄を決することになるだろうと予想していたので、そこまで温存しておきたかったのです。

 選手との信頼関係を保つために

二宮: バーレーン戦は後半26分にアッバスに決められ、そのまま逃げ切られてしまったのですが、残り時間での彼の投入は考えませんでしたか?
山本: あのゲームは引っ張って引っ張って最後にやられた。確かに、おっしゃるように大久保投入という選択肢はありました。でも、ここまで我慢して大久保を投入し、無理に点を獲りにいこうとしてカードをもらったら元も子もなくなってしまう。そんなリスクは負えない。そう判断して、他の選手を使いました。

二宮: 大久保はスピードもテクニックもある日本期待のFWですが、ジーコジャパン(A代表)では結果を出せないでいた。精神面で波があり、自分をコントロールできないシーンがたびたび見受けられた。2月には、ジーコジャパンの規律違反となる夜間の無断外出が発覚し、ドイツW杯アジア地区1次予選のシンガポール戦からもはずされてしまいました。その大久保をUAEラウンドのメンバーからはずしたとき、本人に直接、伝えたそうですね。
山本: あれはメンバー発表の前の日でした。本人に直接電話して「日本ラウンドではオマエの力が必要だ。それまで調整していてくれ」と言い渡しました。「本当の勝負は8月だからな」とも言いました。なぜかというと、彼はA代表には入っていたものの、最近はほとんど出ていなかった。実戦は韓国戦の10分間くらいでした。力はあるが実戦経験に乏しかった。そこで本番の8月までの長いスパンで考えたとき、クラブのキャンプ期間の2週間はとても重要なものとなる。そこでしっかりと体をつくり、1年間戦える体力を養ってもらいたかったんです。
 本人にはそのことをはっきり言いました。こちらの意図を理解してくれたのか、彼は「頑張ります」と明るい声で言ってくれた。これはきっとやってくれるだろうなと直感しましたよ。

二宮: 見事な人心掌握術ですね。メンバー発表の時点で自らの落選を知ったら、後でどれだけ説明してもわだかまりは残っていたでしょう。「監督はオレを必要としていないのか」と。山本監督は先手を打ってメンバー発表の前に本人に説明した。大久保のように気持ちでプレーするタイプの選手には、大きな励みになったと思われます。
山本: そうかもしれませんね。選手サイドに立てば、発表の後で(落選の理由を)説明しても、それは言い訳にしか聞こえないでしょう。選手との信頼関係を保つには、大事なことは先に言っておかなければならない。それが監督としての最低限のマナーだと僕は思っています。

二宮: ではMF阿部勇樹の場合も?
山本: いや、阿部には電話していません。なぜかというと、彼の場合、ケガを理由でUAEラウンドに呼べなかった。ケガをしている選手に「待っているぞ」と言うと、余計に焦ってしまって逆効果になってしまうんです。ましてや彼の場合は疲労骨折。ここは焦らせてはいけないと思いました。

二宮: 伝えたほうがいい選手、伝えないほうがいい選手。それは選手の性格にもよると思うのですが、そのあたりの選手ひとりひとりの性格を、山本監督はきちんと把握していた。ブラジルから帰化したばかりの闘莉王も大きな戦力となりました。
山本: 高さと強さ、これは言うまでもありません。加えて精神的な部分での激しさ。相手がロシアのA代表であっても“オレは行くよ!”という気持ちを彼は持っている。この精神的なたくましさ、タフさはわれわれのチームにはないものでした。もちろん生まれ育った環境の違いもあるのでしょうが、精神的な構造がまるで違いますね。一般的に言って、日本の選手は言われたことは小器用にこなすが、相手に立ち向かう気迫に欠けるところがある。それゆえに闘莉王はわれわれのチームにあって、精神的な支柱になっていたのは事実ですね。

<この原稿は2004年『月刊現代』7月号の原稿を一部抜粋し再構成したものです。>
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