女子マラソンのロンドン五輪への切符をかけた戦いは最終章を迎えた。11日、最後の日本代表選考レースとなる名古屋ウィメンズが開催される。ラストチャンスを掴むべく多くの実力者たちがエントリーした。アテネ五輪金メダリストで日本記録保持者の野口みずき、前日本記録保持者の渋井陽子、2011年世界選手権5位の赤羽有紀子、09年の世界選手権銀メダルの尾崎好美らトップランナーたちが尾張の地で雌雄を決する。今回のレースでは日本人最上位に入ること、そして先に行なわれた大阪国際で優勝を果たした重友利佐の2時間23分23秒というタイムを上回ることが代表入りのひとつの基準となるだろう。
 優勝候補のひとり、尾崎の五輪に向けた物語を、2年前の原稿で振り返る。
<この原稿は2010年1月5日号の『ビッグコミックオリジナル』に掲載されたものです>

 年が明ければロンドン五輪はもう2年後である。
 女子マラソンのエースとして期待されているのが、これから紹介する28歳の長距離ランナー尾崎好美だ。
 2000年シドニー五輪で高橋尚子、04年アテネ五輪で野口みずきが金メダルを獲得し「女子マラソン王国」と呼ばれた日本だが、08年の北京五輪ではひとりの入賞者も出すことができなかった。
 昨年、高橋尚子が引退。野口みずきも故障の回復が遅れるなど暗いニュースが続く中、尾崎が“ロンドンの星”として名乗りを上げた。

 今年8月23日に行なわれたベルリンでの世界陸上・女子マラソン。日本からは尾崎、加納由理、藤永佳子、赤羽有紀子の4選手が参加した。
 レースは30キロ地点で大きく動いた。ペースが上がり先頭集団は尾崎、白雪(中国)、メルギア(エチオピア)、ユラマノワ(ロシア)の4人に。世界陸上では97年アテネ大会の鈴木博美以来の金メダルの期待がにわかに高まった。
 しかし41キロに白雪がスパートするとそれについていけず、そこからは中国人の後塵を拝した。それでも2時間25分25秒の好タイムで見事、銀メダルを獲得。東西の冷戦終結の象徴でもあるゴールのブランデンブルク門に、その名を刻んだ。
「白雪はずっと後ろにいて前に出てこなかったので最後はくるだろうと思っていました」
 読みは当たったが、最後は白雪のスピードに屈した。
「これからの課題はスパート力。スパートした時の勢いをもう少し上げたい」
 おっとりした口調で今後の課題を口にした。

 実はこの2月に腰を痛め、体調は万全ではなかった。それからしばらくは痛みが残ったが、スタート地点に立った時には消えていた。
「彼女の良さは故障しても焦らないこと」
 そう語るのは91年世界陸上2位、92年バルセロナ五輪4位の山下佐知子監督。
「休むときはしっかりと休む。これが大切なんです。最近は焦ってイライラしたり、体の管理ができずに太っちゃう子がいるけど、彼女はしっかり自己管理ができていた。地味ですけど、これは彼女の素質のひとつですね」

 神奈川県足柄上郡山北町の出身。山道や坂道が多く、走るにはもってこいのところだ。
「子どもの頃は通学の途中でクワガタを採ったり、夏は川で遊んだり山登りをしたりといつも自然の中にいました」
 小学校や中学校は山の麓にあった。
「通学で必ず坂道を上り下りしていたので、自分の気づかないところで鍛えられていたのかもしれませんね」
 4歳年上の姉・朱美(セカンドウィンドAC所属)の影響で陸上を始めた。
 高校は陸上の名門・相洋高校へ。しかしインターハイにも出られなかったというのだから当時は凡庸なランナーだったのだろう。

「いい子がいるんだけど採ってくれないか?」
 相洋高の監督・石塚靖夫から山下のもとに電話が入った。
「ものすごくいいものを持っているんだけど自分では伸ばし切れなかった。このままだと実業団のどこからも声がかかっていないから大学に進学することになってしまう。それはもったいないので山下さん、(採用を)考えてくれないか?」
「先生がそこまでおっしゃるのなら……」
 一度の面接で山下が監督を務める第一生命陸上部での採用が決定した。
「第一印象は素直そうな子だな、というもの。ただ走りは見ないまま採ってしまったんです」
 苦笑を浮かべて山下は言った。

 入社当初は体の土台ができていなかった。山下によれば20歳前後は貧血やカゼで練習を休みがちでご飯の食べっぷりも悪かった。
 初マラソンまでに約8年かかった。
「走れるようになるまで我慢させたというより、実際には走らせられなかったんですよ。彼女自身は“私は走れる”と思っていたかもしれませんが……」

 初マラソンは北京五輪選考を兼ねた08年3月9日名古屋国際女子。尾崎は一般参加ながら優勝した中村友梨香から28秒遅れの2時間26分19秒で2位。
「1位が見える2位でのゴールだったので悔しさが残る」
 と語ったものの大健闘だった。
 2度目のマラソンはベルリン世界陸上への出場権をかけた08年11月16日の東京国際女子。このレースで彼女は初優勝を果たす。
 序盤をリードしたのは日本歴代2位の記録を持つ渋井陽子だった。30キロ地点まで独走が続いた。
「我慢して走っていれば、後半に必ずチャンスはくる」
 狙いどおりだった。35キロ過ぎから渋井のペースが落ち、フォームも崩れ始めた。
 遠かった渋井の背中が徐々に近づき、ついに38キロ過ぎでトップに躍り出た。
 ゴールタイムは2時間23分30秒。自己ベストだった。
 尾崎には走るたびに強くなっている印象がある。8年の雌伏が血となり肉となっているのだろう。

「オリンピックはマラソンを始める前は夢って感じだったのですが、やっと狙えるかなぁ……と思うようになってきました」
 尾崎を指導する山下には忘れられない記憶がある。
「バルセロナ五輪の帰りの機内でのことです。行く時は皆同じ立場だったのに帰りは違っていた。“メダリストは前にお並びください”というアナウンスが流れたりして。実は写真を撮るには私たちが邪魔なんです。
 もちろん4位ということで私もそれなりいい思いをさせていただきました。入賞しなければ首相とも会えなかったでしょうし。しかし、そういう場でもメダリストと入賞者の扱いは違うんです。一緒に行動するから余計に悔しさがわいてくる。“やっぱりメダルをとらなくちゃダメなんだ”と強く認識しました」
 まるで傍の尾崎に言い聞かせているようだった。
 五輪を見据え、尾崎は来年4月のロンドンマラソンに出場する。このレースで彼女は何を掴むのか……。
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