ルツェルンは2人にとって、アテネで頂点を目指すことを確認することにおいて“約束の地”となった。武田に触発されるかたちで浦も金メダルへの誓いを立てた。
 しかし、1年後、舞台は暗転した。アテネへのステップとすべき大会で、思いもよらぬ辛酸を舐めることになってしまうとは……。
<この原稿は2004年8月19日号の『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 不振の原因はどこにあったのか。
「まぁ確かに甘かったといえば甘かったといえるかもしれません。悪くても決勝には残れるだろうと思っていましたから……」
 思いのほか、サバサバした口調で武田は言い、こう続けた。

「2人の感覚がケンカしてしまったんです。僕が正しいと思っていることと、彼が正しいと思っていることの間に、明らかに差異があった。それが力に出しても艇には伝わらない大きな原因だった。
 船って走らない時はとても重く感じられるんですよ。まるで、ドロドロした沼を漕いでいるような感じ。いくら漕いでも前に進まない。
 逆に2人の感覚が合っている時は“船が立つ”とでも言うんでしょうか、飛ぶように進んでいくんです。その感覚を今年のヨーロッパは持てなかった。大きな反省材料が残ったことは事実です」

 オリンピックの前哨戦で好結果を出し、本番のアテネへつなげる――それが最良のシナリオであったことは確かだが、思わぬ落とし穴にはまってしまった。
 しかし、その一方で武田には“災い転じて福と為す”の思いもある。

「悪いところが全て出てよかったと思っています。それに今年のメーンプログラムはあくまでもオリンピック。気持ちのどこかに、ワールドカップではそこまで本気になって勝ちに行かなくてもいいという甘えがあったことも事実です。
 ただ、もう対策は考えています。どこかポイントをひとつ合わせることで、つながりが出てくるだろうという確信もあります。そのためには、たとえばポジションを代えるのも、ひとつのやり方でしょう。僕が前(ストローク)から後ろ(バウ)に代わり、浦が前にいく。お互いに違うポジションを経験することで、相手の感覚や雰囲気を理解することができるかもしれない。
 まだ、あります。それはフィニッシュの前の改善ですね。ファイナルと言うのですが、要するにオールを引き込んだ流れをどちらかに合わせればいいんです。現在は、そこが一番ズレているわけですから……」

 初めてのオリンピックとなる浦は「レースペースの練習がしたい」と訴える。ひらたくいえば、2人のコンビネーション練習に力点を置きたいのだ。
「ヨーロッパでのレース後、武田さんから、“浦はどうしたい?”と言われました。僕は正直に“レースペースが足りない。レースに対応できる漕ぎ方ができていない”と言いました。しかし、武田さんの答えは“レースのできる漕ぎ方というのはレートでしっかり漕げる漕ぎ方だよ”と。
 確かにそのとおりなのでしょうが、僕はひとりでレースをやった経験が少ない。だから、どういうペースがレースで使える漕ぎ方なのか、まだよくわからないんです。このへんをもっと2人で詰めていかなくてはいけない」

 イデオロギー面での対立もある。
 浦が「下手なら下手同士の方が速い」という考え方であるのに対し、武田は「それでは世界では勝てない」と喝破する。
「日本人2人でこぢんまりとまとまっても、世界相手には戦えません。それはシドニーで既に経験したことです。個人の能力、レベルが高まらないことには、いくら2人で組んで長く練習しても上には行けません。いや、上には行けてもトップにはなれないということです。
 僕の考えはひとつです。単純にボートを動かしたいということ。最初から最後までしっかり船に力を伝え、1本のストロークで船をより遠くに運びたいんです。その時の船との一体感が確認できれば、問題の解決は近いですよ」
 一呼吸おいて、さらに続けた。

「この競技は水と戦ってはいけないんです。水と一体となるんです。バシャとかグシャとか音を立てながら進んでいるチームは怖くない。あれはただ水面を壊しているだけですから。
 僕たち(武田・長谷等組)がシドニーで決勝に残れたのは、音が良かったからだと思っています。準決勝でトップのギリシャはバシャ、ガタッとすごく音が悪かった。要するにバシャは水に対してオールが支点をつくっていない証拠なんです。ガタッは船とケンカしている証拠。このチームなら逆転できると確信しました。
 音の次は色です。オールを入れた際、泡が白く濁るのは角度が悪い証拠です。現在、世界一の実力を誇るのはイタリアのクルーですが、入水の時の音が激し過ぎる。それでも今は力で持っていますが、2人のバランスが崩れたらクルー自体が崩壊する可能性もあります」

 音と色――。武田が感性の領域に属する話をするのは海でひとりボートを浮かべ、空や水との対話を続けてきたからに違いない。瀬戸内の自然が完成の研ぎ石の役割を果たしたのだろう。
「エンジン音を聞いただけで、あっこれは広島行きのフェリーだな、山口行きだなってわかりますよ。運転の荒さも全然、違う。そういうチェックも結構、おもしろいですよ」
 陽はもう随分、西に傾いていた。砂浜に少年のようなシルエットが映し出された。

 武田大作はなぜ、そこまで黄金色のメダルにこだわり続けるのか。
 シドニーではファイナル進出という、およそ日本人として考えうる最高の結果を残した。
 有名なエピソードがある。決勝進出を決めた武田たちに次々とヨーロッパの選手たちが近づいてきて、こう声をかけた。
「どうやって、うまくスリ抜けたんだい?」
 中には明らかに腕に注射を打つ素振りをする者もいた。ドーピングを抜きにして、日本人がここまで強くなれるわけがない、と彼らはにらんでいたのだ。
 逆にいえば、武田組の決勝進出は、それほどまでの快挙だったということである。決勝に進出した6艇の中で、アジアの艇はわずかに1艇だけだった。

 現実的な目標として、シドニーで狙っていたのは「銅」だった。しかし、どうしたわけかセミファイナルでの武者震いのような気持の高ぶりを、武田はファイナルにおいて感じることはできなかった。
 むしろ「最低限のノルマは果たしたかなァ……」という安堵の気持ちの方が「何としてもメダルを」との闘争心よりも先に立った。
 いよいよ艇を出し、アップを始める段階になって武田はファイナルの空気がそれまでとは違っていることに気がついた。

「あっ、この空気はマズイ! 瞬時にそう思いましたよ。今まで彼らは90%の力しか出していなかった。僕らは100%の力を出して、ヒイヒイ言いながら、ここまできた。もうモチベーションも体力も歴然として差がありました。
 レース前、コーチは言いました。“前半から飛び出すためには、手漕ぎを軽くして回転数で勝負をかけよう”と。要するに、そうでもしなければ勝負にならないということです。その瞬間、“あぁ、オレたちは期待されていないんだなァ”と思いました。
 おそらく、僕の落胆にコーチは気付いたんでしょうね。“武田、何か言いたいことでもあるのか?”と僕の目を見て言いました。“いや、何もないですよ”と……。この時点でもう勝負は終わっていたのかもしれません」

 この悔しさを晴らすために、武田は4年の歳月を必要とした。アテネの方角を見つめながら、瀬戸内の海にオールを突き立てた。
「本音を言えばね、僕は1番でも10番でもいいんです。ヨーロッパの連中と本気の勝負がしたいんです。僕、日本を驚かせようとは思っていません。世界を驚かせたい。ただ、それだけなんです」

 夢を漕ぐ青年――。
 武田大作、30歳。
 アテネには瀬戸内の潮の香りも連れて行く。
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