2000年に柔道部が創設されたばかりの頃だ。了徳寺学園と聞いて、仏教系の宗教法人が運営する学校だとばかり思っていた。実際、京都市には大根焚(だいこだき)の行事で知られる法輪山了徳寺という真宗大谷派の寺院がある。そこに縁(ゆかり)のある学校かと……。
 程なくして了徳寺健二理事長の苗字に由来するものだと知る。これほど柔道に情熱を傾ける教育者とは、いかなる人物なのか。
 自身は柔道七段。川崎製鉄で監督の経験もある。「選手としては三流で弱い主将」だったが、研究心だけは人並み外れて旺盛だった。了徳寺が川鉄の主将だった頃、飛ぶ鳥を落とす勢いの柔道家が現われた。若き日の山下泰裕である。どうすれば山下を倒せるか。考えに考え抜いた末に出した結論が「抱き込み小内」(小内巻き込み)だった。「山下泰裕の柔道はスキがないんです。立って良し、寝て良し。バランスを崩すには虚を突くしかない。体でぶつかっていって、斜め後ろに押しながら足をとって投げる。これしかないと……」

 了徳寺と同じ作戦を密かに練っていた男がいた。現全柔連会長の上村春樹である。76年の全日本選手権、上村は同郷(熊本)の後輩・山下と対戦する。優勢勝ちの決め手となったのが、「抱き込み小内」だった。山下の回想。「上村さん、延岡の旭化成の道場以外では、1回もこの技を使わなかったそうです。ただ私と戦うためだけの技だったと……」

 その山下が了徳寺と会うなり、「先生、どうしたんですか?」と声を張り上げたのは一昨年秋のことだ。東京での世界選手権で了徳寺学園職員の小野卓志(90キロ級)が3回戦敗退した。金メダル候補だっただけに小野の落胆は大きく、かける言葉が見つからない。そこで了徳寺はどうしたか。意を決して頭を丸めたのである。「理事長、僕のためにそこまでやってくれるんですか」。男泣きする小野に了徳寺は諭すように言った。「オレはオマエのオヤジだ。ともに無になって、もう一度やり直そう」

 北京五輪では了徳寺学園から4人が代表に選ばれながら、ひとりもメダルが獲れず、批判を浴びた。今回のロンドンには福見友子(女子48キロ級)と平岡拓晃(男子60キロ級)の2人が出場する。挨拶に訪れた2人に向かって了徳寺は言った。「のびのびやってこい。こんな緊張を楽しめる機会は2度とないぞ」。柔和な視線が父性的な包容力を漂わせていた。

<この原稿は12年5月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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