日本女子カヌースプリント界の第一人者・北本を評する時、多くの人は「気持ちの強さ」を特徴としてあげる。代表入りした10年ほど前から彼女を見続けている日本カヌー連盟の古谷利彦強化部長はこう語る。
「どんな時にも妥協しない。自分に対して厳しい。最初に会った頃から、将来は楽しみな選手になると感じましたね」
(写真:普段は富山を拠点に活動している 提供:公益社団法人 日本カヌー連盟)
 体脂肪率は10%以下

 カヌーを始めたのは武庫川女子大に入学してから。高校まではバレーボールをやっていた。160センチそこそこの身長ながら、ポジションはアタッカー。「強豪校ではなかったので、アタッカーをやっていたというのは恥ずかしい」と照れるが、体格のハンデを補うだけの運動能力があった。

 しかし、大学のバレーボール部はレベルが高く、とても「バレーボールが好き」という気持ちだけでは続きそうになかった。「何かスポーツをやりたい」と他の競技を見てまわるうち、友人に誘われたのがカヌーだ。同大学はカヌーでも全国レベルの実力を持つ。その時は、ここまで本格的に取り組むとは思いもよらなかった。
「誘ってくれた友人は今でも“私のおかげだよ”と言ってきますね(笑)」

 ただ、競技人口の少ないカヌーは初心者でも大会に出られるメリットがあった。ジュニアクラスと呼ばれる初心者のみを対象にしたレースもあり、北本は、後にアテネ五輪でもペアを組む鈴木ら先輩たちに基本を教わりながら、徐々に競技にのめり込んでいく。
「頑張ったら結果が出て、新たな目標が見えてくる。それがカヌーを続ける上で大きかったと思います」
 着実に力をつけた北本は大学3年生で代表入り。競技を始めて短期間で世界選手権にも出場した。

 小柄な体を世界で戦えるレベルまで引き上げたのは、古谷も語っていた「妥協しない」トレーニングだ。普段は午前中にカヌーに乗り、午後はウエイトトレーニング。毎日、体を動かし、完全オフの日はない。体脂肪率は10%。一般女性は20%が平均と言われており、それだけでもハードな練習がうかがいしれる。

 ジャージの下に隠れてはいるものの、二の腕は隆起し、パドルをつかむ手は骨ばっている。親指の付け根にはパドルを支えるうちにタコができ、大きく膨れ上がっていた。(写真) 
「大学時代は小さかったんですけど、本格的に競技に取り組むうちに大きくなっていきました。でも、タコができるのはヘタな証拠と言いますから(笑)」
 その手を見ただけでも、日々、どれだけカヌーを漕いでいるかは容易に想像がつく。

 肩脱臼でも金メダル!

 そんな彼女の気持ちの強さを象徴するようなレースがある。2010年の広州アジア大会、シングル200メートル決勝。スタートの瞬間、パドルを抑えていた右肩が外れたような感覚がした。一瞬で力を入れたために、肩が負荷に耐えきれず、亜脱臼したのだ。痛みをこらえてパドルを回し、何とかゴールにたどり着いたが、なんとフライングのためにレースがやり直しになってしまったのだ。

 肩が外れた状態で、もう1回、レースができるのか。当然のことながら、右腕に力が入らない。パドルの動きに合わせて、肩は入ったり、抜けたりを繰り返していた。再レースまでの猶予は10分しかなく、普通なら棄権してもおかしくない状態である。

 しかし、彼女は諦めなかった。再レースへスタート地点に戻る間、北本は必死で肩に負担のかからないパドリングを模索した。案の定、思うように肩を動かせないなか、出だしは遅れをとる。それでも徐々にペースをつかみ、追い上げを開始。最後の最後で前を行く中国人選手をかわした。ケガを乗り越えてレースを全うしただけでなく、自身初のアジア大会金メダルを獲得した瞬間だった。
「レース中は脱臼かもしれないとは思いましたが、それまで経験がなかったので、本当に外れたのかどうか分からなかったんです。コーチに話をしても“そんなわけないだろう”と信じてもらえませんでしたから」
 周囲も驚く意地の勝利だった。
 
「あのケガは転機になりましたね」
 北本はそう振り返る。
「普段以上の力を入れて肩が外れてしまったということは、漕ぎ方が悪くて体のバランスも崩れていたということ。脱臼をきっかけに、もう一度、フォームも体づくりも1から見直せました。金メダルを獲れたこと以上に、その点に気づけたことが良かったと感じます」
 リハビリを経てトレーナーの指導の下、もう一度、体を鍛え直した。2011年の世界選手権では同種目で4位。堂々の五輪出場を決めた。

 課題は向かい風対策

 北本にとっては3度目の五輪まで、あと2カ月ちょっと。念願のメダル獲得への課題は、4位だった前述の世界選手権にある。決勝のレースでは、向かい風にあおられてスピードが出ず、表彰台に一歩届かなかった。体重は61キロと軽い分、追い風は有利だが、向かい風になるとカヌーが押し戻され、どうしても不利になる。今回の五輪会場はロンドン市内から西に40キロほど離れたウインザー城の近く。だだっぴろい平野にコースがあり、風が強いと評判だ。メダルを狙うには、たとえ向かい風でもカヌーを前に進める技術が求められる。

「もちろん、その技術の部分にも取り組んでいます。ただ、その技術ができる時とできない時の波がある。できる時は完璧だけど、できない時はまったくできない。どうして、そんなに波ができるのか、自分ではまだ分かっていない部分があります。調子が悪い時に試合が当たってしまったら、修正できない」
 
 カヌーは自然の中で行われる競技である。どうあがいても風や波まではコントロールできない。しかし、自分ならコントロールできる。調子の波、気持ちの波、テクニックの波……。「すべてにおいて、こうすればいい状態にできるという方法論を見つけたい」と北本は語る。それさえ発見できれば「メダルは見えてくる」と感じている。

 出場を決めているシングル200メートルの決勝は、五輪のフィナーレ前日(8月11日)。自身もコースの水面も波が立たない最高の状態で、スタートの瞬間を迎えられることを北本は祈っている。

(おわり) 
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北本忍(きたもと・しのぶ)プロフィール>
1977年2月1日、兵庫県生まれ。富山県体育協会所属。川西北陵高ではバレーボール部に所属。武庫川女子大進学後にカヌーを始める。04年のアテネ五輪カヤック500メートルフォアで日本勢初の決勝進出に貢献(9位)。北京五輪では同500メートルペア(5位)とフォア(6位)でいずれも入賞。09年のW杯第1戦(チェコ)では同シングル500メートルで日本人初の優勝。翌10年の世界選手権(ポーランド)では同種目で初の銅メダルに輝く。この年の広州アジア大会ではカヤックシングル200メートルで金メダル。11年の世界選手権で同種目で4位に入り、ロンドン五輪の出場権を獲得した。身長163センチ。

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(石田洋之)
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