寡黙な男が珍しく素直に喜びを表現した。20日のファイターズ戦、1対0の8回裏、1死一、二塁のチャンスで代打に起用されたカープの前田智徳は、植村祐介のフォークを三塁線に弾き返した。打球はサード小谷野栄一を襲って外野へ転がり、二塁走者を迎え入れた。興奮気味に一塁ベースを回ったところで手を叩く。感情を露にした40歳の姿に一振りに賭ける執念を見る思いがした。
 結局、このゲーム、カープは逆転負けを喫するのだが、ここにきての前田の勝負強さは神がかり的だ。16打数7安打、打率4割3分8厘、9打点。山本浩二や落合博満に「天才」と呼ばれた男である。このくらい打っても驚きはしないが、感慨は残る。やはり、この男は別格だと……。

 かつてカープに“代打の神様”と呼ばれた男がいた。元スカウトの宮川(現・村上)孝雄である。敵から最も恐れられる打者が、なぜカープでは代打なのか。記録を調べてみて驚いた。1972年には6打席連続代打安打を放ち、4割4厘という好打率を残している。弱小球団のカープが、これだけの打者をベンチに置いておく理由は、いったいどこにあったのか。

 いつだったか、本人に直接訊ねてみた。「(代打出場が中心になった60年代中頃)ウチのクリーンアップは興津立雄、大和田明、藤井弘、山本一義……。(監督の)長谷川良平さんが嘆くんです。“ウチの3、4、5番はアテにならんから、オマエが代打に回ってくれ。頼む”と……」

 いくら監督の頼みとはいえ、レギュラーと代打とでは給料が違ってくる。「はい、わかりました」と素直に返事できるものなのか。「いや、最初から納得したわけじゃありません。でも、そこも長谷川さんは先回りして考えていた。“代打に回ってくれた分の給料は球団が負担するようにワシが頼んでおく”と。ここまで言われたら受けるしかないですよ」

 因果は巡る。この宮川がスカウト生命を懸けて獲得したのが前田である。「前田が熊本工高3年の時ですよ。春の大会で藤崎台球場のスコアボードに打球をぶつけたんです。高校時代の秋山幸二(八代)も見ているが、彼よりも上じゃった」

 あの春から23年、満身創痍の前田は今日も一振りに賭ける。熟達の技芸が球体の芯を射抜く。万雷の拍手を背に受けてのアットバットには真打ち登場の趣すらある。

<この原稿は12年5月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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