報道などでご存知の方もいらっしゃると思いますが、このたび民主党を離党し、新党「国民の生活が第一」に入党することになりました。5年前に無所属で当選し、3年前の政権交代を経て民主党へ入党。以降は与党の一員として活動してきましたが、これからは、また野党として現政権に是々非々の姿勢で臨むことになります。
 離党を決断したのは、前回も、このコーナーで触れたように、国民に信を問わない消費税増税を、どうしても認めることができなかったからです。確かに赤字が膨らむ一方の財政を立て直すためには、いずれ増税の必要があることは僕も充分、認識しています。

 しかし、2007年に参院選で議員になった僕も、2009年の解散総選挙で当選した衆議院議員も、「消費税増税」を旗印に掲げて国民の皆さんから信任をいただいたわけではありません。民主党はムダの削減や予算の組み替えといった改革を断行することで、4年間は消費税を上げなくても、さまざまな政策が実現できると訴えてきました。今回の民主、自民、公明3党のに合意よる「税と社会保障の一体改革法案」は、その主張を根本的に覆すものです。

 もちろん、社会情勢は刻々と変化していますから、そのなかで掲げていた政策を修正する必要は出てくるでしょう。また現在の衆参がねじれた政治状況では、野党との合意がなければ何も前に進みません。ただし、消費税増税は国民の生活に重大な影響を及ぼす政策です。実際に税を負担し、主権者である国民の意思を確認せずに、国会だけで決めてはいけない法案であると僕は考えています。

 残念ながら、その声は野田佳彦総理大臣や現在の民主党執行部には聞き入れていただくことは叶いませんでした。それどころか、党の執行部は最後は一方的に議論を打ち切り、一任というかたちで反対意見を封じたのです。日本の政治を動かす政権与党のあり方として、この強引なやり方には強い疑問を抱かざるを得ませんでした。

 僕は所属する党のために国会議員をしているわけではありません。民主党が僕の考えとは異なる方向へ進み、かつ、それに対して充分に異を唱えられない現状で党に留まることは、選挙で「友近聡朗」と書いていただいた多くの皆さんに対して説明ができません。このような経緯から6月下旬には離党を決意し、同じ思いを持った皆さんとともに7月2日に離党届を提出しました。

 今回の決断に関しては、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表の意向に沿った行動だろうとの印象を抱いている皆さんも多いことでしょう。確かに小沢代表は、5年前に直接、出馬要請を受け、国会議員になるきっかけをつくっていただいた方です。選挙期間中も、そして当選後も政治活動をする上で、さまざまなサポートをしていただきました。

 しかし、実際に地元で僕を支援していただいたのは、民主党の県連や連合愛媛など、数多くの団体の皆さんであり、愛媛県民の皆さんです。今後、与党から野党の議員となることで、いただいた要望の実現が遅れたり、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。自らの信念を貫いた行動とはいえ、応援していただいた皆さんの思いに応えられない事態が起きるなら、深くお詫びをしなくてはならないと思っています。

 来年には僕も6年の任期を終え、選挙を迎えます。再選だけを考えるなら、組織の支援があるほうが戦いやすいのは事実です。新党に参加したといっても国民の皆さんの期待度は低く、それだけで多くの票が集まるとも感じていません。単に「小沢さんの下で」という程度の理由では、おそらく民主党を飛び出すことはできなかったでしょう。あくまでも今回の決断は、自らの政治に対する考えにのっとって結論を下したものです。この場を借りて、この点は強調しておきたいと感じています。

 では、なぜ「国民の生活が第一」に入党したのか。それは党の基本理念に共鳴したからです。まず、政策に関して、党では3つのコンセプトを掲げています。1つは国民主権、2つ目は地域主権、3つ目は国家の自立です。僕はサッカー選手だった頃から、「地方から日本を元気にしたい」という思いを強く抱いてきました。現役時代に“愛媛にJリーグを”と唱え続けてきたのも、それが地域の活性化につながると信じてきたからです。今は舞台がスポーツから政治に変わりましたが、この考えに全く変化はありません。ですから地方分権が大きな柱になっている点は、党に入るひとつの決め手となりました。

 そして、もうひとつは「党議拘束がない」という点です。これはメディアではあまり注目されていない部分ではありますが、とても画期的と言えるでしょう。日本の政治は個人の意見より組織を重視するあまり、党の縛りが強い傾向があります。今回の消費税増税法案のように、採決で党内が割れるのは極めて異例のことです。しかし、同じく政党政治を採用している諸外国には党議拘束がないところも多く、同じ党で賛否が分かれることは珍しい話ではありません。

 議員はそれぞれ国民の皆さんから選ばれ、国会に来ています。100人議員がいれば、それぞれの考えも選挙区の事情も100通りあります。その中で党の方針と異なるものが生じるのは当然と言っていいでしょう。その時に党の総意ではなく、議員個人の意見を表明することは、本来であれば当たり前の話です。もちろん、そこには議員としての見識が問われますし、責任も伴います。その上で有権者の皆さんがひとりひとりの議員の行動を評価する流れが生まれれば、より政治に緊張感が出るのではないでしょうか。

 5年間、国会議員として活動してきて、僕は政界再編の必要性を年々感じるようになっています。今の政治は二大政党とはいえ、自民党も民主党も党内では考え方に隔たりがあるのに、全体としては両者が大きく変わらないという分かりにくい現象に陥っています。政治を前に進めるためには、この枠組を1度打破し、それぞれの旗の下に考えの近い議員が集うかたちに変えなくてはなりません。この「国民の生活が第一」は、その再編のきっかけをつくれる政党だと考えています。

 参議院だけで100人以上いた民主党を離れ、同じ党の参議院議員は12名となりました。多数は取れなくても、100分の1から12分の1となったことで、これまで以上に任される役割は増しています。現在は環境委員会に所属し、原発事故や震災後のがれき処理に関する問題にも新たに取り組むことになりました。委員会内で党の議員は1人しかいないため、質問機会が与えられれば、僕が必ず担当することになります。こうした場を通じて、残り1年、まさに「国民の生活が第一」の思いで精一杯、邁進していくつもりです。今後は民主党の一議員ではなく、友近聡朗個人としての国会での働きぶりに、ぜひ注目していただければと思っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。
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