16日に行われた総選挙を経て、国会議員としての生活に一区切りをつける結果となりました。自分にとって国政選挙を戦うのは、5年前の参議院選挙以来のこと。参議院は愛媛県全体が選挙区なのに対し、衆議院は限られた地域での戦い。衆議院選挙は期間も短く、厳しい選挙戦となりました。
 何より古い政治を打破しようとの機運が高まっていた5年前と違い、民主党中心の政権となってからの迷走に国民の皆さんは厳しい目を持っていました。僕も自らの信念と党の方針の乖離を感じ、民主党離党を決意しましたが、だからと言って、それが追い風になるわけではありません。

 今回の選挙では前回、書いたように僕は3つの争点を掲げました。
(1)原子力発電所に依存した社会を今後も続けていくべきか。
(2)消費税を今、上げるべきか。
(3)TPPに参加すべきか。

 消費税については多くの方々が身近な問題として捉えており、訴えも届いた手応えを感じていました。ただ、原発やTPPに関しては、景気対策などと比べれば、どうしても皆さんに実感が沸きにくい部分があったのかもしれません。十分に僕の考えを伝えきれなかった点、そして皆さんに賛同いただける主張ができなかった点は自分の力不足だと思っています。

 5年半の参議院議員としての日々を振り返ると、やはり、このコーナーでも何度も取り上げたスポーツ基本法の成立が一番の思い出として挙げられます。超党派の議員の皆さんと議論し、今後の日本のスポーツ政策の骨格となる法律を制定できたことには大きな達成感があります。

 もちろん、これは基本法ですから、今後その理念を各政策に反映していくのは、今回当選した議員の皆さんたちの役割です。ぜひ条文の中にも謳われていた「スポーツ立国」を実現し、10年先、50年先、100年先と素晴らしいスポーツ文化が日本に育まれることを期待しています。

 一方で心残りなこともあります。僕は議員になるにあたり、「地方から日本を元気にする」という理想を実現したいと考えていました。言いかえれば、地方分権、地域主権の国づくりです。無所属で当選後、民主党に入ったのも「地域主権は一丁目一番地」という主張に共鳴したからでもあります。

 しかし、政権交代後、この構造改革を成し遂げることはできませんでした。せっかくボールを持って、トライできるチャンスがあったのに、いつの間にかに密集の中に入りこんでしまい、気づけばボールを失ってしまった……。ラグビーに例えるなら、そんな感じでしょうか。地方分権を進める上で、中央官庁の厚い壁があったのは事実です。ただ、もっとやり方を工夫すれば、正面突破できたのではないか。これは政権与党の一員だった人間として大きな反省点です。

 総選挙の結果、再び政権は自民党と公明党の手に戻りました。自公合わせて3分の2以上の議席を与えられたわけですから、ぜひ日本をよい方向に導いてほしいと願っています。もちろん報道されているように今回、自民党が大幅に議席を得たのは、選挙制度上の事情もあります。結果を見ると比例代表では自民党の得票数は3割にも達しません。小選挙区も自民党より他党の候補者の得票の合計を足した数が上回っているところがほとんどです。議席は大多数でも国民の支持が大多数というわけではない――この事実を受け止め、安倍政権には幅広く声を聞きながら政治を動かしてほしいものです。

 選挙から約2週間、事務所の片付けやあいさつ周りなどもようやく一段落し、この年末年始は久々にゆっくりした時間を過ごすことになります。議員時代は父親としての役割もろくに果たせないままでしたから、家族との時間も大切にしたいですね。

 思えば、「故郷にJリーグのクラブを!」とドイツから愛媛に戻り、当時はJFLだった愛媛FCに加入してから12年の月日が経ちました。選手時代はクラブを地域に根付かせ、Jリーグへ昇格させるため、自分なりに一生懸命走り続けてきたつもりです。そして6年後、Jリーグ入りを果たして現役を退き、今度は政治の世界へ。ここでも約6年間、芝のピッチから赤じゅうたんのピッチへ舞台が変わる中、精一杯走り続けてきました。

 気づけば37歳を迎え、男性の平均寿命を考えれば人生の折り返し地点にさしかかっていました。サッカーなら前半の45分が終了したところでしょうか。サッカーには後半開始まで15分間のハーフタイムがあります。それなら人生にもハーフタイムがあってもいいのではないか。今はそう感じています。

 ありがたいことに、これまでアスリートとして、政治家として他の人ではできないような経験をたくさんしてきました。それらを一度ロッカールームに帰って整理をし、後半戦をいかに戦うべきか。その作戦を練りたいと考えています。

 そう言えば、大学を卒業してドイツに渡ったのも、もともとはJリーガーになる夢が破れたから。そこで地域に密着したドイツのサッカークラブを出会い、僕の人生は大きく変わりました。人間万事塞翁が馬という言葉もあるように、何がプラスに転じるかは分からないものです。今回のことも、後になって振り返ってみれば人生の転機になる出来事なのかもしれません。

 せっかくいただいたハーフタイムですから、有意義に使わなくてはバチが当たります。いろんな人に会い、いろんな話を聞いて、自分に何ができるのか、何をすべきかを見つけていきたいと感じています。それがスポーツの世界になるのか、政治の世界になるのか、はたまた他の世界になるのかはまだ分かりません。ただ、また必ず後半戦のピッチに立ち、自分の信じた道を走っていく。そのことを心に誓って、少し足を止める時間にしたいと思っています。


友近聡朗(ともちか・としろう):前参議院議員
 1975年4月24日、愛媛県出身。南宇和高時代は全国高校サッカー選手権大会で2年時にベスト8入りを果たす。早稲田大学を卒業後、単身ドイツへ。SVGゲッティンゲンなどでプレーし、地域に密着したサッカークラブに感動する。帰国後は愛媛FCの中心選手として活躍し、06年にはJ2昇格を達成した。この年限りで現役を引退。愛称はズーパー(独語でsuperの意)。07年夏の参院選愛媛選挙区に出馬し、初当選を果たした。12年冬の衆議院選挙に立候補したため、5年半務めた参議院議員を失職。
>>友近としろう公式HP
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