真紅のジャージのフィフティーンが史上初の快挙に挑む。帝京大学ラグビー部は全国大学選手権4連覇をかけて、13日の決勝を戦う。対するは国立大初の決勝進出を果たした筑波大だ。帝京大躍進の立役者は、監督就任17年目を迎える岩出雅之である。岩出は、高校ラグビーの指導者として、八幡工業高を7度、花園へと導く実績を残すと、1996年に帝京大の監督へ。大学ラグビーでもその手腕をいかんなく発揮、2010年にチームは初の日本一に輝いた。決して強豪校ではなかった帝京大が、いまや名だたる名門校でも成しえなかった金字塔を打ち立てようとしている。そんな名将の指導哲学を、大学選手権初優勝を果たしたばかりの時の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2010年4月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

「よし“ブザー・ビート”で行くぞ!」
 ハーフタイムで岩出雅之は選手たちに向かってこう告げた。反応は上々だった。
『ブザー・ビート』とはバスケットボールを題材にしたテレビドラマである。<崖っぷちのヒーロー>という副題がついている。
 バスケットボールでは試合終了のブザーが鳴るのと同時にシュートが放たれ、それが決まって逆転に成功することがある。そうした離れ業や、それを演じてのける名手のことを「ブザー・ビーター」と呼ぶ。
 岩出は敢えてテレビドラマを持ち出すことで、選手たちに「接戦になっても最後は勝つぞ」という意識付けを行なったのである。
「ラグビーはホーンの後にプレーが続く可能性がある。ブザービーターをイメージさせることで最後の最後まで諦めずに集中しようというメッセージを選手たちに送ったんです」

 果たして決勝戦はクロスゲームになった。
 1月10日、東京・国立競技場。第46回ラグビーフットボール全国大学選手権。
 帝京大学対東海大学。
 7対7で迎えた後半11分、均衡を破ったのは東海大だった。豊島翔平がPGを決め3点のリード、豊島は20分にもPGを決め、13対7とした。
 しかし、ここから帝京大は本領を発揮する。26分、モールを押し込み、右サイドを抜けた吉田光治郎がインゴールに飛び込んだ。コンバージョンも決め14対13と逆転。
 だが流れを引き寄せるまでには至らない。東海大も関東大学リーグ戦王者の意地を発揮する。
 後半39分、モールで帝京大を圧倒する。帝京大にとっては下がればトライ、反則を犯せばPG。絶体絶命の場面だ。
 両手を合わせて神にも祈りたくなるような場面を、しかし岩出は楽しんでいた。
「“もう1回来たかよ”という感じでしたね。僕、あの場面で笑っているはずですよ」
 意外なセリフを岩出は口にした。
「まさに今シーズンで一番の集中力を発揮する場面。学生の成長の跡が見られる場面でもあるわけです。それをスタンドから楽しもうと。
 だから“ピンチだな”とは思わなかった。“大きなヤマ場が来たかな”という感じでした信じる力というのかな、学生を信じていたので何も慌てなかった。
 むしろ最後の最後にああいうシーンが来てラグビーのおもしろさを最高のかたちで表現することができたと思うんです。その意味では最高の締めだったんじゃないでしょうか」

 岩出は帝京大学のOBではない。日本体育大学の出身である。
 作家・中上健次の母校として知られる和歌山・新宮高校に入ってからラグビーを始め、大学3年時にはフランカーとして大学日本一を経験した。
 ラグビー部を有する多くの一流企業から勧誘を受けたが、岩出は「教員になる」と早くから決めていた。
 大学卒業後は滋賀県教育委員会を経て中学、高校で教鞭を執った。
 体育教師である以上、専門外のスポーツも指導しなくてはならない。こうした経験が指導者としての幅を広げさせた。
「たとえば野球には野球独自のルールのようなものがある。なぜ練習もユニホームで行なわれなければいけないのか。そこで僕は発想を変えてTシャツ姿で練習をやらせたりした。
 困ったのはノック。試合前に両チームの監督がノックをするのですが、これが下手クソで、見ていた選手は、もうそれだけで負けたような顔をしている。これじゃマズイと思い、必死になってノックの練習をしました」
 やがて楕円球のゲームに戻ってきた岩出は八幡工の監督として7度、チームを花園に導いた。高校日本代表の監督も務めた。

 高校ラグビーの指導者として実績を残した岩出は次なるステップを切ろうとしていた。
 大学ラグビーの指導者である。
「僕の気持ちの中で、大学の教員になりたい、大学のチームを指導してみたいという思いが強くなっていったんです……」
 縁あって関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属する帝京大学へ。岩出が監督に就任する以前、同大学は大学選手権に2度出場していた。
「ちょうど僕が大学にやってきた頃は早稲田、慶応、明治に日体大がからみ、その下に筑波と青山学院が位置するといった状況でした。帝京もその当たりのランクでした」

 就任後しばらくは、本人によれば「霧の中でもがいているような日々」が続いた。
「少しずつ結果は出ていたが、僕はすっきりしていなかった。選手自らが頑張っているのではなく、無理やりやらされているという感じだったんです。そこで“Enjoy”と“チームワーク”というキーワードを用いて部の風土を変えようと思った。これまでは、ともすると厳しさがなく、自分たちの好きなことだけやるという甘えが見受けられた。これを一掃しなければならないと……」

 監督に就任して14年目の昨季、岩出率いる帝京大は早大、明大を撃破し、悲願の対抗戦グループ初優勝を果たした。
 しかし大学選手権の決勝では早大に10対20と返り討ちに遭う。平常心を失い、ファウルを犯す選手が続出した。
「勝負には必ず“あや”がある。それを掴み切れなかった」
 屈辱の記憶は経験という名の貴重な財産となり、それが今季、見事に開花した。
「昨年は反則で自滅したけど、今年は最後の場面でも反則が出なかった。特に後半の20分間は攻められている場面でも心理的には優位に立っていた。『ブザー・ビート』の話がきいたのかもしれません」
 そう言って52歳はサラリと笑った。

 ちなみに岩出がこのドラマを知ったのは、夏合宿での選手たちの会話がきっかけだった。
 2回戦の前、たまたま点けた車のテレビにこのドラマが映り、偶然にも主人公が「ブザービーター」の意味を説明していた。
「これはついているな、そして使えるなと思いましたよ」
 今度はクスッと笑った。
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