大相撲に型は必要か不必要か。おそらく、この論争に最初に火をつけたのは、さる19日に他界した元横綱の大鵬ではなかったか。
 基本的には左四つに組みとめてからの右上手投げやすくい投げを得意にしていた大鵬だが、右四つでも相撲がとれた。押し相撲にも安定感があった。

 しかし、こうした自在流とでも言える取り口に対しては批判も少なくなかった。いわく「大鵬には型がない」。当時の資料をあさると、これといった型を持たない横綱は短命に終わるとの解説も散見される。角界の保守派には大鵬を異端視する向きもいたのである。

 今から8年前、昭和の大横綱にインタビューする機会を得た。もちろん、この点についても訊ねた。大鵬の答えは簡潔だった。「せっかく、ひとつの型ができても、その型にならなければ勝てないというのでは話になりませんよ」

 大鵬に自在流を仕込んだのは二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)だった。「山の水が高いところから低いところに自然に流れるように、相手に逆らわないで、どんな相撲でもとらなきゃダメなんだ」

 といって基本をおろそかにしたわけではない。いや、その逆である。大鵬は語った。「相撲は昔から“押せ”としか言われません。“引け”とは絶対に言われない。まずは激しくぶつかり合う。そこで一歩でも二歩でも押し込む。自らの技術を磨くのはそこからです」

 話を聞いていて、ふと浮かんだのが、能の世阿弥が起源とされる「守破離」という言葉である。芸や武道など伝統文化の基本は師から教わった型を忠実に「守る」ことから始まる。だが、それだけでは発展しない。次の段階で型を「破」り、最終的には型から「離」れて自由になる。つまり新しい型を創造することで師の恩に報いるとの思想である。

 昨年暮れになくなった歌舞伎界の名優・中村勘三郎の口ぐせは「型を身につけてこその型破り。基本のできていない芸はただの型なし」だったという。大鵬の相撲にも一脈通じるところがある。

 今にして思えば、どんなかたちでも相撲が取れた大鵬は無数の型を持っていたということである。大横綱の真の偉大さは、そこにあったのではないかだろうか。

<この原稿は13年1月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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