二宮: 高2の夏、いよいよ本場のヨーロッパでのレースに参戦します。肌で実感した世界のレベルは?
小橋: 確かに日本とは全くレベルは違いましたが、意外と“いけるかもしれない”と感じたレースになりました。最初は完走が目標だったのに、最終的には最後のゴール前の争いでミスをしなければ、結構、上位に食い込むことができたんです。もっと練習して、経験を積めば、世界と戦える。自分に自信が持てたレースになりました。

(写真:昨年11月のツール・ド・いくちじま(広島)では第1ステージ、第2ステージと優勝/撮影:高木秀彰)
 激しくも楽しい本場のレース

二宮: 日本とヨーロッパでは路面の状態も違うでしょう? やりにくさはなかったですか。
小橋: 参加したのはドイツのレースでしたが、走っていて軽い感じがしました。要するに路面が硬くて滑る感覚です。
 それにコースのレイアウトが日本とは全く異なりました。日本はコース設定の際、安全面を考慮していますが、ヨーロッパでは基本的にお客さんを楽しませることを第一に考えている。だから選手としては危険な部分も多い。ただ、それがとても楽しかったんです。正直、日本のロードレースは、本物のロードレースではないと思ってしまうほどでした。

二宮: コースが難しければ、一瞬の判断ミスが命取りになる。位置取りを巡る争いも、より激しさを増すのでは?
小橋: 昨年はイタリアのレースにも出ましたが、ゴール前の争いになると、平気で腕でつかんできます。見えないところで他の選手に押されたり、引っ張られたりするのは当たり前でした。

二宮: 昨年9月にはオランダでのジュニアロード世界選手権に出場しました。48位と課題の残るレースになったようですね。
小橋: 自分のミスが響いてしまいました。ゴール前で勝負をするには必ず前に出なくてはいけなかったのに、それが結果的にできなかったんです。最初は足を使って10番手くらいのところにつけていたんですが、前に出ることばかり考え過ぎて、大失敗をしてしまいました。このレースのコール前は下りがあって、鋭角のコーナーを曲がり、再び上るというコース。上りに入るまでに前に出ないと上位に入れないので、下りきったコーナーを先頭で回ろうと考えていました。ところが、コーナーに入るにあたって、集団の右側にいればいいのか、左側にいればいいのか注意が足りなかったんです。結局、僕は右側にいたために、コーナーを遠回りするかたちになってしまいました。気付いた時に左側へ入ろうとしても、もう遅い。皆、ピッタリとくっついて中へ入れさせてくれません。一気に左側にいた選手に抜かれて順位を落としました。

二宮: 小橋選手は欧米の選手と比べれば、かなり小柄だと思います。体の小ささをアドバンテージにすることはできますか?
小橋: 基本的には体が小さい利点は少ないですね。やはり体が大きいほうがパワーがありますから。強いてあげるとすれば、小柄な僕が前にいても風よけにならないので、他の選手が後ろについて消耗を防ぐという作戦は効果が薄いことでしょうか。逆に僕が大きな選手の後ろにつけば、空気抵抗がかなり軽くなって楽に走れます。

 1年でも早くプロへ

二宮: ジュニアで最後のレースとなった昨年11月のツール・ド・沖縄では2連覇を達成しました。これもゴール前のスプリント勝負を制しています。
小橋: 最後に一騎打ちになったレン・チェン・ウィン(香港)はジュニアトラック世界選手権でポイントレースを制したチャンピオン。競技は違えど、かなりの強敵でした。彼との一騎打ちに勝ってジュニアのレースを締めくくれたことはうれしかったです。
(写真:先に仕掛けさせてラスト200メートルでまくり、駆け引きでも相手を上回った/撮影:高木秀彰/シクロワイアード)

二宮: 小橋選手は「ツール・ド・フランスでのステージ優勝」を目標に掲げています。ツール・ド・フランスに興味を持ったのは、いつ頃ですか。
小橋: 中学時代です。親がツール・ド・フランスを観るために、スカパー!に加入してくれて、初めてライブ中継でレースを見ました。“この舞台で走ってみたい”と強く思いましたね。

二宮: 日本人でツール・ド・フランスに出場した選手は、まだ4人しかいません。完走自体、2009年の別府史之選手と新城幸也選手が初めて。そのくらい世界の壁は厚い。ステージ優勝は日本人がまだ誰も登ったことのない高い頂です。
小橋: できれば夢は大きく総合優勝と言いたいところですが、現状、日本のチームがツール・ド・フランスに参戦することは難しい。ヨーロッパのチームに所属して出れば、当然、エースを勝たせることになりますから、日本人がそのポジションになれないでしょう。ただ、ステージ優勝であれば可能性はあると信じています。

二宮: 当面は新城選手や別府選手のように、ツール・ド・フランスに出て、完走することが第一関門になりますね。目標とするのも、この2選手?
小橋: もちろん新城選手と別府選手は憧れの対象です。そして、もうひとり憧れているのは福島晋一選手です。ロードレースは30代後半になるとほとんどの選手が引退してしまいますが、福島選手は40歳を過ぎてもアジアを中心に現役を続けている。選手としてはもちろん、人間的にも素晴らしい方です。僕も世界で結果を出して、年齢を重ねても走れる選手でありたいなと思っています。
(写真:昨年6月に参加した3day's Road 熊野(和歌山)の第1ステージ、横一線の争いに勝利する/撮影:高木秀彰)

二宮: 間もなくフランスに渡ることになりますが、不安と希望、どちらが大きいですか?
小橋: 楽しみですね。これまでは学校と自転車を両立しなくてはいけませんでしたが、これからは自転車だけの生活になりますから。すっと自転車のことだけを考えられるなら幸せだろうなと思っています。

二宮: 大きな夢へ向かって、ヨーロッパでどのような未来図を描いていますか?
小橋: 最近は若い選手をプロとして、どんどん獲得するチームが増えてきていると聞いています。だから、結果を残して、うまくタイミングが合えば、20歳くらいでプロになるのも夢ではない。プロになれば、ツール・ド・フランス参戦も現実に近づいてきますから、まずは1年でも早くプロになりたい。わずかなチャンスを逃さないよう、夢に向かって精一杯チャレンジしたいと思っています。

(次回は総合格闘家の松田千城選手を取り上げます。2月6日に更新予定です)


小橋勇利(こばし・ゆうり)
1994年9月28日、北海道生まれ。ボンシャンス飯田所属。愛媛・松山工高3年。10歳で自転車競技と出会い、レースに参加。1年中練習ができる環境を求めて、高校は愛媛へ単身で進学する。初出場となった高1のインターハイでは個人ロードレースで上級生を抑えて優勝する快挙を達成。11年10月のジャパンカップ・オープンを高校生で史上初めて制覇し、日本アマチュア界の頂点に立つ。2012年もアジアジュニア選手権でトップと同タイムの2位。ツール・ド・おきなわジュニア国際の部では連覇を果たした。今春からは本場ヨーロッパに渡り、プロを目指す。同年8月の第2回「マルハンワールドチャレンジャーズ」ではオーディションに臨んだ14選手(チーム)の中でグランプリに輝き、協賛金300万円を獲得した。168センチ、54キロ。
>>公式サイト
(撮影:高木秀彰/シクロワイアード)


『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(2012年8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(構成:石田洋之)
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