プロ野球12球団のキャンプがスタートした。今年は3月にWBCが行なわれるため、日本代表候補たちの動向に注目が集まる。昨季日本一の巨人・長野久義もそのひとりだ。長野は、他球団からの指名を2度拒否して、2010年に巨人入り。1年目に打率2割8分8厘、19本塁打、52打点の成績で新人王に輝いた。翌11年には打率3割1分6厘をマークし、首位打者を獲得。入団2年目での首位打者は、巨人では長嶋茂雄以来、52年ぶりの快挙だった。3年目の昨季は全試合に出場し、リーグ最多安打(173)を記録。主に1番打者として、交流戦、レギュラーシーズン、日本シリーズなど5冠達成に貢献した。巨人はもちろん、侍ジャパンでも活躍が期待される長野の一途な思いを、ルーキー時の原稿で紹介しよう。
<この原稿は2010年10月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 巨人の「背番号7」と言えば、真っ先に思い出すのがV9時代のセンター柴田勲だ。
 俊足、巧打。「赤い手袋」がトレードマークの華麗な外野手だった。

 1984年生まれの長野久義は、もちろん柴田の勇姿を知らない。
「僕の知っている巨人の背番号7といえば吉村禎章さん(現巨人野手総合コーチ)、そして二岡智宏さん(現北海道日本ハム)……」

 9月2日現在、外野手として114試合に出場し、打率2割9分9厘、18本塁打、50打点、12盗塁。新人王は決まったも同然だろう。
 野手での新人王となれば、巨人では昨年の松本哲也に続いて7人目ということになる。

 巨人のユニホームに袖を通すのに3度のドラフト会議を経た。
 最初は大学(日大)4年時のドラフト会議。長野は北海道日本ハムから4巡目で指名を受けたが、これを拒否して社会人野球(ホンダ)に進んだ。

 2度目のドラフト会議はその2年後。千葉ロッテから2巡目で指名を受け、当時の監督ボビー・バレンタインから面会を求められる。長野はこれも拒否してホンダに残った。

 長野の“ジャイアンツ愛”が球団に届いたのか、翌年に入ってすぐに、巨人は秋のドラフト会議で長野を1位指名することを発表する。
 これが励みになったのか長野は秋の都市対抗野球で打率5割7分9厘と大活躍し、チームを13年ぶりの優勝に導いた。
 ドラフト会議では約束どおり1位指名を受け、晴れて巨人の一員となった。

 まるで『平成版・巨人の星』である。

 そこまで巨人にこだわった理由は何か。
「僕が大学の頃はドラフトに掛かるか掛からないかくらいのレベルだった。にもかかわらず、ずっと巨人のスカウトには注目してもらっていた。それがものすごくありがたく感じられました」

 福岡県に近い佐賀県三養基郡の出身。物心ついた時から巨人ファンだった。

「今だったら九州ではソフトバンクの試合がたくさん電波で流れているんでしょうが、僕が子供の頃はテレビでは巨人戦しかやってなかった。だから知っているのは巨人の選手だけ。
 ちょうど監督の原辰徳さんやコーチの篠塚利夫(現・和典)さんが全盛期の頃です。その頃から漠然と“将来は巨人でプレーしたい”とは思っていたんですけど“まぁ、いけないだろうな”と……」

 初めてのドラフトで、北海道日本ハムに指名された時はともかく、2年後、千葉ロッテに指名された時は心が揺れたのではないか。
 プロになりたくてもなれない選手はたくさんいる。不慮の事故に見舞われることだってある。翌年、巨人が指名してくれる保障なんて、どこにもないのだ。

「正直、(ロッテに)行こうかな、と思った時期もあります。しかし、日本ハムさんには“巨人にしかいきません”と言って断っておいてロッテさんにお世話になるというのはどうなのかと……。
 両親は早くプロ野球選手になる姿を見たかったようですけど、僕の思いを話すと“自分で決めなさい”と言ってくれました。
 でも今にして思えば、社会人時代の3年間は大きかった。すごく楽しい時間でした。1年目、2年目はあまり活躍できなかったので、あの時点でプロに行っていたら悔いが残っていたかもしれない。
 3年目で結果が出たので思い残すことなくプロに行くことができた。チームを勝たせることもできましたし……」

 プロに入ってからは順風満帆のように映るが、本人によれば「反省の日々」。修正しなければならないポイントが、まだまだたくさんあるという。
「たとえば守備。球際でグローブに当てながら落とすことが多い。僕は大事に行き過ぎるところがあるのでコーチからは“もっと大胆に行け”と言われています」
 用意してきたバッティングに関するデータを目の前に差し出すと、にわかに目付きが厳しくなった。

<1ストライク後の打率>(8月24日時点)
 1ストライク 3割4分6厘
 1ストライク1ボール 3割4分6厘
 1ストライク2ボール 2割7分1厘
 1ストライク3ボール 2割5分

 ピッチャー有利なカウントの方が打率が高く、バッター有利なカウントでは打率が下がるのだ。
 きわめて珍しい傾向である。

「本当ですね。(バッターが有利なカウントでは)もう少し打っても良さそうですね。あぁ、これも悪い。ノーストライク2ボールから2割ですか。このあたりも改善しなければいけませんね」

 少年時代、憧れの人だった篠塚コーチからはキャンプ中、滑り台を使った練習を命じられた。左足の方が高くなっているのだ。

「これだと軸足で、しっかり振らなければならない。重心が残せることでボールが長く見られるようになった。それによって変化球にも対応できるようになったと思っています」

 交流戦の時期にはスランプに見舞われた。打ちたいという意識がカラ回りして、ボール球に手を出し、さらに深みにはまっていった。
 その時だ。練習中、原辰徳に声をかけられた。

「おい長野、自分のやっていることを疑うなよ」

 この一言で迷いが晴れた。

 新人王の最有力候補のポジションを確保しながら、浮かれたところが見られないのは目標を高く設定しているからか。

「プロのレベルは想像していたよりも高く、毎日が大変です。あえて目標を口にすれば“長野を指名して間違ってなかった”と思ってもらえる選手になること。巨人だけじゃなく日本ハムさんにもロッテさんにも、そう思ってもらいたいんです」

 平成の世には珍しい一途な青年である。
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